僕の「愛媛」 ~山本清文へ~

 山本清文君へ。
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 君に向けて、私の「愛媛」を披露する。
 君の長きに渡って為した仕事―「えひめ35景」(テレビ愛媛)は立派なものだったと思っている。ただ、僕は不満足だった。そこには閉塞した“景色”しか見えなかったからだ。何かの折に、僕は君にこう言ったのを覚えている。風景の発見とは、実は、自己の内面の発見なのだ。そして、それは風景をかたどる共同体の発見なのだ。厳しい言い方かもしれないが、その意味では、君は何一つ“発見”はしなかった。君が見つめていたものは、何よりも閉塞を続けるムラであり、ムラを抱え込みながら側転する「愛媛」という地方だったからだ。だから、僕は不満足だったと感じている。
 むしろ君は「愛媛」を手放すべきだった。この土地は、いま手放されなければ分からないほど、ヒドイ不感症にかかっている。
 君の見た場所に、果たして風景はあっただろうか。
 僕は、君に僕が見た風景を披露したい。ひょっとすると、それは単純な美しさとは違うものかもしれない。

 11月13日、愛媛県東温市白猪の滝(しらいのたき)を経て西条市西山興隆寺を詣でる。紅葉を愛でる目論見だ。
 我々は市内中心部を出発し、まず、白猪の滝を目指す。
 桜三里を脇にそれ、蛇腹の山道を駆け上がること15分。広がった停車場に到着する。ここからは峠道を自力で這いつくばって瀑流の麓まで登らねばならぬらしい。
 当日体調の不良を訴えていた友人を無理に引き連れ、いや、中途からその余裕も失い、半ば置き去りにするようにして、私は登山を続ける。途中、何台もの車に追い越され、中腹付近に有料駐車場を発見したときは、はらわた煮えくり返る思いであったが、どうにかこうにか、片道30分程度の急なアップを制した。
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 登山道の裏手に、囲い込まれるようにしてその瀑布はあった。それは、見事な景色だった。どこかの家族に無理やり連れてこられた、顔のつぶれた犬も滝をじっと見ている。
 子規の歌碑と漱石の句碑を見付けた。
 「見渡せば 雪かとまがふしらいとの 滝のたえまは 紅葉なりけり」‐子規
 「瀑五段 一段ごとの 紅葉かな」‐漱石
 と、ある。子規との親交から漱石がこんな山の中まで足を運んでいたことは率直に驚きだが、私が考えていたのはそんなことではない。南北朝の河野氏の亡霊が、白い猪にまたがって出たという逸話の方だ。瀬戸内の海賊に過ぎなかった地方豪族が、菊池武敏にいいように言いくるめられて時流を見誤った。その結果、中心‐周縁(京‐九州・四国あるいは松山‐川内)の図式に簡単に吸収され、追いやられた。「白い猪」というメタファーも、血種の尊さを印象付ける分かりやすさだ。そして、このことは未だに愛媛という地方都市とそこに定住する人間の図式にピタリと当てはまっている―事態は何も変わっていないのだ! もう、誰の目にも猪など見えていないにもかかわらず。今日、川内に猪がいるとも思えないが。

 空が少しづつ薄墨色になってきた。我々は足を速めた。
 丹原を抜け、西条市に入る。西山興隆寺。開基は空鉢上人。真言宗醍醐派。本堂は頼朝が造らせた寄棟造りで、重文だという。参道には菓子の露店が並んでいる。
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   本堂、山門
 木々はまるで色付いていない。
 別名紅葉寺と言われているそうだが、腐って落ちた紅葉が鮮やかで、それが風流だった。石垣から枯紫陽花が何本も顔を出している。
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   何のつもりか朱に塗りこめられた弘法大師、真言
 長い石段をこらえて登ると、ドリカムの『Winter Song』が大音量でスピーカーから流れてきた。なるほど、冬だ。誰もがそう思うに違いない。
 自作のからくりを見せて甘酒を振舞うコーナーもあったそうだが、全てに疲れていた我々に、もはやその勇気もなかった。
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   収穫。狛犬が男前。可愛い。
 暮れゆく仏法山は、とたんに人影が少なくなる。
 本尊の千手観音が見たかったが、チラリとも見せてくれる気配がない。
 ダラダラと延びるこの道を戻りながら、私はふと、「人生は長い下り坂だ」と言った作家の文句を思い出した。私はこのような言い回しを端的に好かないが、さもありなん、とも思った。このときばかりは。やりきれなさ。しかし、「風景」とは元来このようなものだ。何の意味もない。実用的ですらない。そんな「つまらない」ものに感情を押し付けようとするほうがおかしい。それは、それだけのものだ。
 熱を帯びた友人が呟く。熊野みたいだ、と。
 なるほど、そうかもしれない。山が生きながら死んでいる。
 「えひめみたいなもんだ!」 なあ、清文。そうは思わないか?
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by ecrits | 2005-11-26 04:46 | 友人
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