芸術における異次元 ~マルセル・デュシャン『大ガラス』を中心に~ (ⅵ)


   第2章 『大ガラス』

 『大ガラス』(正式名称は、「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」)は、1915年より制作が始まり、8年後の23年に未完のまま制作がとどめられたフランス(当時)の芸術家マルセル・デュシャンの作品である。最も大きな特徴は、図像がガラス上に描かれていることであり、そのため1926年11月に開催された近代芸術国際展の終了後の搬送中にひびが入ってしまい、以後はそのままの状態で展示されている。その理解不能な図像から、最も解釈の難解な芸術作品の一つとして今日でも広く認知されている作品でもある。
 デュシャン自身の語るところによれば、この作品におけるキーワードの一つは「四次元の物体の三次元への投影」である。これは一体どういうことであろうか。
 第2章では、極めて示唆的であり、重要であると思われるこの発言を軸に『大ガラス』の解読を試みるのだが、それにあたって、まずこの作品の大まかな輪郭を説明する事から始めよう。
 『大ガラス』は大きく分けて二つの部分によって構成されている。一つは上半分の花嫁の領域であり、残る一つは下半分の独身者機械の領域である。花嫁の領域は「花嫁/雌の溢死体」と「通気ピストン」、そして「九つの射点」からなり、独身者機械の構造は、作品に向かって左から「九つの雄の鋳型」「隣金属性の水車のある滑構」「ふるい」「チョコレート摩砕器」そして「眼科医の証人」となっている。そしてそれらは全てガラス上に描かれている。また、『大ガラス』は未完成品であり、初期の計画では描かれる予定だった「ボクシングの試合」や「重力の軽業師」が制作されないままで終わっている。
 ここで注意しなければならないのは、第一に、この二つの部分の基本的な図像の表現方法の差異についてである。つまり、下部の独身者機械は、ある固定された一つの視点からの状態、つまり遠近法の投影として描かれているのに対し、花嫁の領域は、一見すると何が描かれているのか分からない、不可解(=不可視)な表現が用いられていることである。そして第二に、これらが全てタイトル通りにガラス上に固定されていることである。
 しかし両者において、その形状の不可解性そのものの原因、そしてガラスの意味するものについての考察は今まで行われてこなかったように思われる。この『大ガラス』の数多の先行テクストにおいては、この「花嫁」の形状が「何を」示しているかについては大いに考察がなされてきた。例えば「花嫁」に内燃機関の外観を見出しているものも多い。しかし、私の考えでは実はこの種の解説は何の回答も提出してはいない。と、いうのも、これらの解説に従うならば、では何故「花嫁」のみが「独身者機械」の遠近法的なものとは異なった方法で表現されているかについて、そして、それらがなぜ他でもないガラス上に描かれているかについて、全く答えられないからである。つまり、『大ガラス』を解読するには、What(何が描かれているか)ではなく、How(どのように描かれているか)に対する解答が不可欠な条件であるはずである。しかし現実においては、通称にさえあらわれているにもかかわらず、このガラスというマチエールそのものが作品に付与する意味に関しての指摘が意外に少ないのである。せいぜい、独身者機械の表現に関して、その焦点がガラスを通過した作品の背後で結ばれることなどが指摘されているにとどまるのである。しかし、私たちの考えによれば、この問題はより深い、作品のコンセプトそのものに通ずるものである。したがって、私たちの考察はこれら二つの特徴を、ある一つの結果へと結びつけるものになるだろう。


   ※第2章の執筆、および改稿に関し、“ぴゅーぴる”君の丁寧なアドバイスと支援を頂いた。ここに深く感謝の意を表ずる。ありがとう!   えくり
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by ecrits | 2006-01-02 04:24 | 論考
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