カテゴリ:そのほかのこと( 16 )

再開広告

 皆さん御無沙汰をしておりました。
 このブログの執筆人でありますecritsでございます。
 2006年の急な中断の折にはたくさんの方々に多大なご迷惑をおかけいたしました。
 大変申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。

 病は相変わらずよくありません。むしろ、悪い。
 身辺の状況は2年前とほとんど変わっていないに等しい。
 しかし、私には書く理由が出来ました。それはいたって私的な理由です。ですから、ここでお話しするようなことではありません。
 「書く」ことをまた始めて見ようと思います。
 私にとって「書く」ことは、ことばへ抵抗することです。

 この一年と少しばかりの間、私が考えていたことは、平板に言えば「責任」の問題です。
 それから、その延長線上にある「倫理」の問題です。
 主体と責任。そして、倫理。
 人はいかにして何ものかに“責任を負う”ことができるのか?
 また、それが可能とするならば、それはいったいどのような形でか?
 それが今の私の主要な思考です。

 昔、加藤尚武が生命倫理の方向へシフトしていったとき、私は彼をダメだと思いました。
 しかし、今考えてみれば、それは必然性に裏打ちされていたものだったかもしれません。
 そういうことが私にもようやく分かるようになった。
 これは、あるいは極めて一般論に過ぎることかもしれませんが。

 私は大きな生命を失いました。
 今度は私が彼のことを考える番です。
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by ecrits | 2008-02-12 06:49 | そのほかのこと

このブログの一時閉鎖について

 かなり長い間、このブログは更新されていません。
 それは管理人であります私の責任です。
 この数ヶ月の間、私には色々のことが起こりました。
 病気が悪くなったこと、自分の子供が生きて産まれなかったこと、会社を退職すること、色々です。
 さしあたって私にはこのブログを存続させていくだけの力が残っておりません。
 ですので、このブログは一時中断させていただきます。
 再開の見込みはありません。
 何かの折にふっと始めるかもしれません。しかし、それは未だ分かりません。

 皆様には大変ご迷惑をおかけいたします。
 申し訳ございません。

 なお、『ヒロシマの藤田嗣治(Leonard Foujita)』は、タイトルを『従軍画家にとって戦争(責任)とは何だったか』と改め、「ECRITS」臨時増刊号に掲載予定です。
 『私の夢十夜』の続編については、発表場所が決まり次第、随時お知らせいたします。


 一部の皆様にはお断りもせず、急な決断であったこと、重ねてお詫び申し上げます。
 また、このブログで皆様にお会いしたいと思っています。
 私のような者の始めましたブログに、今まで多大なご支援を頂きましたこと、感謝の言葉もありません。
 いままで、本当にありがとうございました。

          2006年11月9日   管理人
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by ecrits | 2007-05-05 09:32 | そのほかのこと

光の庭園

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 ※更新が滞っており、一部の皆様には大変ご迷惑をお掛けしております。
 近日中に“ヒロシマの藤田嗣治(Leonard Foujita)”をup予定です。   えくり
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by ecrits | 2006-08-22 04:02 | そのほかのこと

記憶を、手繰(たぐ)る。




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by ecrits | 2006-04-03 04:36 | そのほかのこと

謝罪広告

 自身のホームページを持たない私は、この場をお借りして、皆様にお詫びを申し上げます。
 このブログは前「思想工房ECRITS」の関係者の皆様もご覧になっていることと思います。その方たちに向けて、初代代表者として、一言、お詫びを申し上げたい。

 過ぎる3月4日、思想工房ECRITSの第五期メンバーであり、解散直前まで営業・広報を担当していた、亀山泰州(20)氏が都内で短銃を所持していたとして銃刀法違反で逮捕されました。私は、そのことを4日深夜に電話で報告を受けました。事件については、大変遺憾に思っています。銃の入手経路については本人が警察当局に供述している様子ですが、思想工房ECRITSとしても、捜査に最大限の協力を惜しまないつもりであります。また、亀山の贖罪についても、本人に反省をうながし、今後二度とこのようなことが起こらないように、団体として教唆するつもりです。

 私は亀山と二度、面識があります。
 一度は彼が加入するとき。二度目は昨年行われた直島のシンポジウムのときです。
 私は、個人的に-また、或いは団体として-彼に銃を所持するように直言したことは一度もありません。銃刀法違反は、単純な犯罪であり、許されるものではないと考えております。それだけは、声を大にして申し上げておきたい。
 「思想工房ECRITS」は(関係者の皆様ならご存知でしょうが)徹底した非暴力主義を掲げておりました。これは、私が団体を創設した折に絶対を期した約束の一つです。ですから、運動として暴力行為に出たことは一度としてありません。むしろ、右翼団体の名の下にヤクザに襲撃を受けたときも、その法的処置や事後的なことまで全て含めて警察にお任せいたしました。一部で言われておりました「報復」など決してない。我々は彼らに喧嘩を売るほど阿呆ではありません。そのようなメンツにこだわることこそ下らない。そう、考えておりました。

 ただ、私は皆様にお詫びを申し上げなければいけません。
 これは、個人の犯罪であると同時に、我々の責任でもある。

 私(黒川)は、代表職を務めておりました三年間で、護身のために、改造モデルガンを所持していたことがあります。事実として、そのこと皆に公言していました。当時は未だ法改正の手続きが行われる以前で、モデルガンの改造及び所持は法に抵触するものではありませんでした。
 私は三年間で幾度となく待ち伏せをされての暴行を受けました。犯人は捕まっていません。しかし、私は犯人に心当たりはある。そのたびごとに違う人間です。しかし、証拠はありません。あくまで推測の域を出ない。暴行については、安倍や尾上や冷泉も同じです。仄聞した限りでは、命に関わるような酷い暴行を受けたものまである。わたしは、それらの状況を受けて改造銃を所持していたのです。ただし、“いかなる場合も発砲してはいけない”という条件付きです。私は、それを嘘のない事実として申し上げます。

 私が代表職を退いて後、襲撃を受けたり、暴行事件があったようなことは聞いておりません。ですから、あの悪しき慣習は雲散したものと決め込んでおりました。
 私は、今回の事件とそのことが直接関係のある問題であったかどうかは知りません。また、本人に事実確認をしておりませんので、現在のところ分からない、というのが適当かと思います。ただ、一昨年改造モデルガンについての所持規制が為された折に、もし、個人的に所持しているようなものがあるのならば、それらを完全に破棄するように念をおして指示致しました。今は捜査の状況を見守りながら、本人に事実関係を確認することが急務と思っております。

 今回の事件において「思想工房ECRITS」が何ら関係のないものとは断言できません。
 よって、私には皆様に謝罪する責務がある。それが当然と思っております。
 「思想工房ECRITS」は現時点において解散しており、団体として機能しておりません。
 私は当節の関係者の一人としてこの事件に関わっております。

 この場をお借りして、皆様に多大なご迷惑をお掛けいたしましたことを謹んでお詫び申し上げます。     2006年3月7日 思想工房ECRITS初代代表 黒川寛之
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by ecrits | 2006-03-07 06:00 | そのほかのこと

逡巡

 “いかなるセクシュアリティも暴力性を抜きにして考えることができない”
          -フェミニズムもホモセクシュアリティもセックス自体だとしても-

 結局、私はたったこの一つの問いを巡る惑星の一つに過ぎなかった。
 そのことの厳粛な事実。
 ただ、それがある。
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by ecrits | 2006-01-24 09:35 | そのほかのこと

或る鋭敏な神経の風景 ~私の大切な友人へ~

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 高い天井から吊り下げられた、無数の細いワイヤー。
 そうして、その一つ一つに殺伐とした電燈が灯されている。
 しかも、よく見ると、その色は一通りではない。
 不安が、前近代的な「不安」が、我々の両眼を不確かなものにしようとする…。

 私は、この景色を見た瞬間に君の事を考えた。
 君の、繊細で、脆弱な精神を。
 どうか、君、この淡い光りをそのままに灯しておいてくれ。
 いつ、切れて、粉々に砕けてもおかしくない精神を、私は、支えてゆくことにする。


                  赤星いつか 様

   取材協力…“道後ぎやまんの庭” (松山市道後鷺谷町459-1)
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by ecrits | 2006-01-13 19:38 | そのほかのこと

夜更けから~夜明けまで

 英語で「夜明け」をあらわす言葉「Dawn」は、「(物事が)分かり始める」という意味を併せもっています。日本語にも「黎明」という言葉がありますね。日の出は、一日の始まりであり、同時に、思考が始まる瞬間を意味しています。
 ただ、悲しいかな、我々はまだ夜の暗闇にいるといわねばならない。
 自衛軍は世界中に派遣されるでしょうし、性や民族を初めとする差別は未だ世界に蔓延している。地球の環境は壊滅的ですし、それに拮抗する倫理もない。

 本音に開き直っている余裕はありません。
 本音を語る人間は全く現実的ではありません。自らを物語化する欲動に酔っているだけのことです。こういう人間が美学的な効果をもつことが問題です。

 青臭い理想を胸を張って語ることが必要とされています。
 それは切実な問題です。それに気付いていない人が多過ぎる。

 私は年の終わりや、新しい年の到来に、全く何の関心もありません。好きな人は、好きなようにすれば良い。そう思っています。
 ただ、私にも何か新しい時代に向かっての祈りはある。
 いや、それは「祈り」といった神秘性を巻き込む「ことば」ではありません。
 私は常に現在的であり、行動しています。それを恥じる事はありません。そう思っています。

 2006年も倫理は漸進します。
 「夜明け」に向かって。
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by ecrits | 2005-12-31 04:02 | そのほかのこと

冬来たりなば…

 12月14日、松山市県民文化会館にて開催されていた水谷修氏の講演会「冬来たりなば 春遠からじ」に赴く。来場者4200余人。昨今で県内最大のイヴェントだった。

 水谷氏、性善説を大いに説く。談論風発の印象あり。若き日の菊池寛、かくのごときと思った。
 「ことば」の持つ下らなさと偉大さの振幅を感じる点で、なかなか他人の及ぶ所ではない。何か、「ことば」を突き抜けて、普遍的なものに向かおうとするうごきがある。善悪を別として。

 演説の才能というのは、確かにある。個人の能力的なものだ。私も4000人を前に人命について語れ、と言われると、ああいう方法をとるかもしれない。困ったものだ。本当に困ったものだと思う。あれでは、どこぞの国の宰相と変わりがない。
 講演会の終わった後、教祖様の「お筆先」を求めて、ホールに人がごった返す。
 私は危機感を感じた。
 必要なのは「ことば」をもって「ことば」を断ち切る、不断の批評性ではなかったか。
 そのことだけが、思想から唯一ひとを自由にする方法なのだ。

 愛媛県のリストカッター、全国で二番目の数字と云う。
 「えひめ」という閉塞の歪み。こんなところにも発露した。
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by ecrits | 2005-12-16 07:00 | そのほかのこと

素晴らしき「bleakground」賛

 「マイブログ」に登録させていただいているbleakgroundさんのダイアリー。
 いつもハッとさせられる。
 なんだろう、この言葉の煌きは。

他人を傷つけてしまうと思うと、思考を停止してしまう。しかし思考の停止は決して優しさではない。
思考を止めないこと。それがすべてだ。


 と、ある。
 こういう人がいて、良かった。
 私は決してこのように語らないが、これほど力強く思ったことはない。
 また、言う。

参った。「写真」と出会ってしまった。とらえられてしまった。
「出会う」っていう感覚は、、、本当に「向こう側」からやってくる感じだ。


 ナルホド。
 正確に対象を捉えようとする言葉は、スルリとその額縁を抜け落ちて、かくも激しくのた打ち回る。
 私よりも言葉が抵抗するのは、こういうリアルな日々の経験かもしれない。
 第一線の環境でやることの凄まじさを肌で感じる。
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by ecrits | 2005-11-21 05:32 | そのほかのこと