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しらかたみおへの手紙

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 親愛なるしらかたみお君へ。

 君が新風舎の第11回えほんコンテストで金賞を受賞した『まてまて!きつねのおめん』がこのたび君の二作目の著作として出版の日を迎えることになった。いや、実際には、そのことを僕は伝聞した。元来のものぐさな性格だから、僕は君にお祝いの言葉一つかけるにしても、相当の時間を要してしまった。どうやら、もう熱は冷めてしまっていたらしい。周囲は何食わぬ顔で俺を見た。俺は粛々とした顔だったかもしれないが、雑誌やTVですでに公然の事実だった君の大作の刊行に、どうやらまた俺は乗り遅れてしまったらしい。われながら間の悪いことだと思う。甘えた顔で“スンマセン”もないものだが、十年前からこれだけは変わっていない。悪癖だと思う。
 もう十年になるのかな。たしか、君と僕とは従兄弟だった。あれはまた、何でそんなことになったのか皆目見当が付かないが、当時中学生だった僕たちは、真顔でクラスメイトにそう言って回った。本当に信じている友人もいたらしい。惚れた女を自らに引き付けて誇大妄想するのが当時の二番目の悪癖で、これはしばらくたって完治した。自分の情けなさに気が付いたからだ。気が付いていなければ、今でも同じことをやっていただろうと思う。恐ろしくて身震いがするが。
 人生とは面白いものだ-こんなことをしたり顔して言えるほど、僕も君ももう大人になってしまった-。田舎の中学生だった二人のうちの一人は、そのままに自己の才能(あるいは「卓越した修練の下に」とでも記そうか)を開花させ、だらしのないほうの一人は、どこでどうしてそうなったのか、左翼の活動家とかいったトンデモナイ肩書きをくっつけられて批評で口を糊する役回りを与えられている。たしかにあの時君と僕とは友人だった。今でも友人にかわりはないが、あの時とは趣きも若干変化しているようだ。僕はそのことの事実を今厳粛に受け止めている。
 しらかたみお君。これは僕の君へ送る手紙だ。もう、あの時書いたような手紙は二度と書けないかもしれない。しかし、偽らざるものを残しておく。それだけは信じておいてほしい。

 中東を民主化するという噴飯ものの大義名分の名の下に始めた馬鹿な戦争に日本が加担し、テレビゲームのようにスカットミサイルが飛び出して、命中するのをテレビの画面越しに眺めていたとき、僕は君に出会っていたことになる。今になって思うと、どうもそのような政治的な背景と君との印象がぴったりと符牒しない。おそらく、僕は(そしておそらくは君も)極めて鈍感だったのだろう。僕は目の前で起こっている戦争を知らなかった。僕が知っていたのは電気グルーヴという古今未曾有の狂人が飛び出してきて、テクノという試みを始めたことだけだった。そう、まさに「始めた」。テクノはあったかもしれない。しかし、大文字の「TECHNO」は彼らによってはじめて「テクノ」になった。マルクスは哲学とは既存の言葉の意味を塗り替えることだ、と言っている。その意味では僕の中にテクノという哲学が芽吹いていたのが当時だったと記憶している。『Selected Ambient Works 』を1000回聴いた。第1回(だったと記憶する)フジロックでリチャードを見て卒倒した。今はなき地元のクラヴに通いつめた。全てが新鮮だったが、僕はその感覚を忘れていない。「批評」といい「思想」という。難解な顔をする。しかし、そのときの“Trance”の感覚がないものは,はじめから死んでいるも同じことだ。批評はそのような場所以外で生成されるはずがないから。
 君は筋肉少女帯を聴いていた。こう書いてみると、やはり懐かしい感じがする。僕はサブカルチャーを意図的に無視し続けてきたが(少なくともものを書くレヴェルでは)、当時のナゴムカンパニーがある種の特別な熱意を持っていたことは素直に体験として認めざるを得ない。もちろん、それが良いか悪いかは別として。90年代初頭には、ハイカルチャーまたはローカルチャーという識別がまだ可能で、それが構造的に対概念を為していた。よって、ローカルチャーによる企図的な逆視をもってハイカルチャーを批判することが可能だった。現在の状況を考えてみれば、これは驚くほかのない状態だ。現状分析のようなことばかり言ってても始まらない。そんなことはヒマな連中に任せておくことにしよう。
 僕は覚えている。当時大槻モヨコ名義で出されたプレスのいくつかを君と聴いたことを。いや、しかし、それも僕の記憶違いかもしれない。その後二人は別々に歩み出して、結局僕はドラッグやら何やらでずいぶん頭を悪くした。満足に覚えていることなど、何一つない。断っておくが、これは感傷ではない。現実的な障害だ。

 考えてみれば、君と僕とが東京で生活していた時期も重なっている。重なっているはずだ。僕は時折、それは本当に時折だが、君のことを思い出していた。某月刊文芸誌の創刊パーティーでしまおまほちゃんと話していたとき、僕は彼女に君の印象を感じていた。発話のタイミングや、そのトーンを。困ったことに、友人の癖は何かにつけて記憶を突き始めてしまう。連絡の一つも取ればよかったのだろう。知人から君が頑張っているらしいことを聞いただけで、それで僕は満足してしまっていた。その頃の僕は文学と差別とセクシュアリティの問題を抱えていた。原稿の依頼もボツボツ来始めた。何とかやっていけるような気もしていた。

 結果論になるが、君も僕も、こうして松山に帰ってきた。僕はいま、言論とは何の関係もない仕事を主にしている。君はいつの間にか絵本作家になっていた。あの頃に抱えていた問題は、ほとんど何も解決していない。ただ、現実的に弊害は発生し、被害者は増え続けている-宗教・人種・戦争・ジェンダー・人口・性暴力・エイズetc-。それら現実に向き合い行動することを自分は今の課題だと思っている。問題に最終的な解決などない。「最終的」な解決はイデオローグでしかないからだ。“困難な現実がある”。現実とはただそれだけのことだ。何の神秘的な要素もない。この世界に究極的な「意味」があるように思っている連中は形而上学を復興させているに過ぎない。思想的には、それはカント以前への退行を意味している。暴力も性も、君や僕の本当に身近にある問題だから。
 馬鹿に自分のことばかり書き過ぎた。これでは祝辞にもなにもなってやしない。申し訳ない。
 今の僕は前に書いたようなことを考えている。それは、もしかしたら今の君とは何の関係もないことかもしれない。君は「情緒あふれる」松山が好きだ、と言った。でも、それは間違っている。僕らの育った道後という街の情緒は、昭和以降に地方産業制を唱えた幾人かの官僚によって意図的に作られたものだから。道後温泉はそもそも地元の小規模な湯治場だった。まあ、いまの道後温泉の泉質を考えれば、そんなことは本当にどうでもよい問題かもしれない。あれはただの形骸だから。温泉じゃない。
 僕は君を心から応援する者の一人だ。ただし、君があの頃のように本質的に徹底的にラディカルに突き進む限りにおいて。あの頃のような君の姿が、昔もいまも僕を勇気付けていることを君に知っておいて欲しい。君の健康と更なる活躍を心より祈る。

     2006年2月23日 黒川寛之

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by ecrits | 2006-02-23 05:55 | 友人

女性器に飯を盛るということ ~遠藤裕人の砥部焼き~

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 12月6日、松山市の「ギャラリー リブ・アート」にて開催されていた遠藤裕人の個展に赴く。
 今日となっては、砥部焼きの現代陶芸作家としてすっかり定着してしまった感がある彼の存在だが、発言する芸術家としての一面があることはあまり知られていない。護憲派の理論家としての彼-しかしそれは決して党派性に還元される性質のものではなく、独自に“一市民の”発言者として立場を一貫させてきた。
 彼に最後に会ったのは、今年の夏、「憲法9条をまもる愛媛県民の会」だったと思うから、半年ぶりくらいの再会になる。連日、右翼の街宣車が喧しく往還していて、会場周辺の住民の皆様には甚だ迷惑をかけた事だったろうと思う。が、それにもめげず、松山という閉塞した土地で、今や耳新しくさえ聞こえる、“まっとうな護憲論”には多くの賛同を頂いたし(実際、それは蓋を開けてみてビックリというほどの反応だった)、今後もそれは発展しながらさらに大きな運動として展開されてゆくだろう。私はそれを心強く思っている人間の一人だ。

 遠藤の砥部焼きは、明快だ。
 砥部焼きの最大の特色である、抜けるような白磁の透明感持を生かしつつ、簡素で幽玄調を感じさせる陶芸は多くのファンを生み、育ててきた。また、彼の作品のほとんどが実用的な食器や花入れに限定されていることも特色であろう。今回の個展でも、近年彼がモティーフとして多用している「つき」や「つばさ」のシリーズが、高い完成度と繊細極まるバランスで配置されており、最終日に足を運んだ私にしても十二分に鑑賞を楽しめた。
 ただ、彼自身も告白するように、「歳をとったといえばそれまでだが、昔のような実験的陶器に魅力を感じなくなった」という現状はいかがなものだろう。今回も、会場の一隅に配せられた、壁面を衝動的に鋭利な刃物で引き裂いたかのようなヒビ(=断絶。 割れ目から聞こえる「声」 懐疑的なエロス)を持つオブジェ風の花活けを除いて、ほとんど昔のような実験的な素材が見られなかった。
 私は非常に強く印象に残っている。はじめて彼の工房(えんどう窯)にお邪魔した折、彼は丁度新作の窯上がりを心待ちにして時間を費やす日々であり、来客心ここにあらずといった塩梅だった。さりとて客に見せたい近作があるわけでもなく、私は当時付き合っていた彼女と二人、砥部の初雪でも降ろうかといううす寒い時節、底冷えするような土間に腰掛け、間の悪い時間を費やしていた。見かねた彼の両親が、玉川大学時代の卒業制作だの、彼の20代の修練時代の作品だの、山というアルバムを持ってきて、私に見せた。中に一つ、ムーミンの「ニョロニョロ」を思わせる、身の丈ほどのオブジェの写真があったから、私が「これはいいと思う」といつものように知ったような事を言っていると、彼の親父さんは、「本人も若つくりの焼き物の中で、それが一番気に入っているようだ」と言った。私は、彼が男根をつくったのだと思った。男根の象徴を、というのではない。また、男根のオブジェをつくったのでもない。彼が「男根そのもの」を土から作ろうとしたことに感動したのだ。だから、「こういうのがもっと何本もあればいい」と言ったら、「何本もあったんです。でも、割れたり色々して、残ったのは数本しかなかった」と答えた。私はその時に頷いていた。草間弥生のような情熱を彼に感じていた。それは、もしかすると、病的な執着かもしれない。
 その頃の彼の作品は女性の陰部や男性の生殖器をモティーフに取り入れたものが多く、私が素直にそれを褒めると、「ほら、男って尖ったものや突き出しているものにカッコよさを感じるじゃないですか?」と彼ははにかんで言っていた。繰り返しになるが、私は男性器や女性器のモデルに飯を盛る事を褒めるのではない。そんなことは下らない。下品だし、低俗な遊びだ。ただ、性器そのものに飯を盛って食う、ということ、その行為、その日常を遠藤が夢想したことが素晴らしいと思っている。
 結局、彼の近作から二点を買って帰った。どちらも個人的には今ひとつと思える出来だが、仕方あるまい。これに加えて、昔買った高皿の写真も載せておく。
 彼の今後にも期待する。

 なお、彼の作品はネットでも購入できる。
 アートギャラリー「イヴ」さんのリンクを貼っておくので、どうぞ。遠藤君にしたら、要らぬ世話を焼いたかもしれない。失礼した。愛媛の方は窯元(「えんどう窯」 伊予郡砥部町北川毛307-3)まで是非どうぞ。そっちの方が安い。
 彼は来年、50になるそうだ。
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by ecrits | 2005-12-10 06:00 | 友人

僕の「愛媛」 ~山本清文へ~

 山本清文君へ。
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 君に向けて、私の「愛媛」を披露する。
 君の長きに渡って為した仕事―「えひめ35景」(テレビ愛媛)は立派なものだったと思っている。ただ、僕は不満足だった。そこには閉塞した“景色”しか見えなかったからだ。何かの折に、僕は君にこう言ったのを覚えている。風景の発見とは、実は、自己の内面の発見なのだ。そして、それは風景をかたどる共同体の発見なのだ。厳しい言い方かもしれないが、その意味では、君は何一つ“発見”はしなかった。君が見つめていたものは、何よりも閉塞を続けるムラであり、ムラを抱え込みながら側転する「愛媛」という地方だったからだ。だから、僕は不満足だったと感じている。
 むしろ君は「愛媛」を手放すべきだった。この土地は、いま手放されなければ分からないほど、ヒドイ不感症にかかっている。
 君の見た場所に、果たして風景はあっただろうか。
 僕は、君に僕が見た風景を披露したい。ひょっとすると、それは単純な美しさとは違うものかもしれない。

 11月13日、愛媛県東温市白猪の滝(しらいのたき)を経て西条市西山興隆寺を詣でる。紅葉を愛でる目論見だ。
 我々は市内中心部を出発し、まず、白猪の滝を目指す。
 桜三里を脇にそれ、蛇腹の山道を駆け上がること15分。広がった停車場に到着する。ここからは峠道を自力で這いつくばって瀑流の麓まで登らねばならぬらしい。
 当日体調の不良を訴えていた友人を無理に引き連れ、いや、中途からその余裕も失い、半ば置き去りにするようにして、私は登山を続ける。途中、何台もの車に追い越され、中腹付近に有料駐車場を発見したときは、はらわた煮えくり返る思いであったが、どうにかこうにか、片道30分程度の急なアップを制した。
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 登山道の裏手に、囲い込まれるようにしてその瀑布はあった。それは、見事な景色だった。どこかの家族に無理やり連れてこられた、顔のつぶれた犬も滝をじっと見ている。
 子規の歌碑と漱石の句碑を見付けた。
 「見渡せば 雪かとまがふしらいとの 滝のたえまは 紅葉なりけり」‐子規
 「瀑五段 一段ごとの 紅葉かな」‐漱石
 と、ある。子規との親交から漱石がこんな山の中まで足を運んでいたことは率直に驚きだが、私が考えていたのはそんなことではない。南北朝の河野氏の亡霊が、白い猪にまたがって出たという逸話の方だ。瀬戸内の海賊に過ぎなかった地方豪族が、菊池武敏にいいように言いくるめられて時流を見誤った。その結果、中心‐周縁(京‐九州・四国あるいは松山‐川内)の図式に簡単に吸収され、追いやられた。「白い猪」というメタファーも、血種の尊さを印象付ける分かりやすさだ。そして、このことは未だに愛媛という地方都市とそこに定住する人間の図式にピタリと当てはまっている―事態は何も変わっていないのだ! もう、誰の目にも猪など見えていないにもかかわらず。今日、川内に猪がいるとも思えないが。

 空が少しづつ薄墨色になってきた。我々は足を速めた。
 丹原を抜け、西条市に入る。西山興隆寺。開基は空鉢上人。真言宗醍醐派。本堂は頼朝が造らせた寄棟造りで、重文だという。参道には菓子の露店が並んでいる。
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   本堂、山門
 木々はまるで色付いていない。
 別名紅葉寺と言われているそうだが、腐って落ちた紅葉が鮮やかで、それが風流だった。石垣から枯紫陽花が何本も顔を出している。
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   何のつもりか朱に塗りこめられた弘法大師、真言
 長い石段をこらえて登ると、ドリカムの『Winter Song』が大音量でスピーカーから流れてきた。なるほど、冬だ。誰もがそう思うに違いない。
 自作のからくりを見せて甘酒を振舞うコーナーもあったそうだが、全てに疲れていた我々に、もはやその勇気もなかった。
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   収穫。狛犬が男前。可愛い。
 暮れゆく仏法山は、とたんに人影が少なくなる。
 本尊の千手観音が見たかったが、チラリとも見せてくれる気配がない。
 ダラダラと延びるこの道を戻りながら、私はふと、「人生は長い下り坂だ」と言った作家の文句を思い出した。私はこのような言い回しを端的に好かないが、さもありなん、とも思った。このときばかりは。やりきれなさ。しかし、「風景」とは元来このようなものだ。何の意味もない。実用的ですらない。そんな「つまらない」ものに感情を押し付けようとするほうがおかしい。それは、それだけのものだ。
 熱を帯びた友人が呟く。熊野みたいだ、と。
 なるほど、そうかもしれない。山が生きながら死んでいる。
 「えひめみたいなもんだ!」 なあ、清文。そうは思わないか?
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by ecrits | 2005-11-26 04:46 | 友人

「LE CLUB」の笹森さん

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↑在りし日のアスベスト館


 10月21日、舞踏家の笹森氏を松山市二番町「LE CLUB」(ル・クラブ)にて歓待=受容(Reception)する。笹森氏は私の大学時代の先輩であり、「思想工房ECRITS」の第一期メンバーだった。最後の舞台を見に行ったきり、声もかけられず5年ぶりの再会である。
 土方巽の末弟を自称する彼は、1997年に大野一雄舞踏研究所に入会。以来、暗黒舞踏のパフォーマーとしてアスベスト館などで独自の身体表現を展開しながら、「発言する身体」を主張してきた。代表舞台に『病譚』(高田恵篤氏作、演出)などがある。
 以下、私(黒川)と笹森氏の対話の要約である。


 黒川:本当に久方ぶりだね。まさか、松山に来ているとは思わなかった。
 笹森:すごい店だな。
 黒川:松山で一番有名なバーだ。「アスベスト」って感じじゃない?
 笹森:うん。マルキ・ド・サド。僕らは爆発してこの地にも降り注いだ。
 黒川:あの頃は、今ほどアスベストって騒がれてなかった。最近だよ。アスベストの歴史が終わってからこんな形で名前が突出するのは皮肉な気がする。
 笹森:それは違う。僕たちはまさにアスベストのように無意識に身体を犯し始める。知らずに僕たちは拡散していたんだ。中皮腫のように胸腔に病むんだ。そしてそれは全世界に広がるだろう。限りなく芸術とは遠い力に貫かれて。
 黒川:悪い冗談だ。
                       ~中略~
 笹森:僕は君に良いイメージは持っていなかった。ただ、何か新しいことをやりたいというメッセージに動かされて一緒にやっていた。
 黒川:それは、どうして?
 笹森:学生運動の指導者になりたかったんだろう。
 黒川:全く違う。そんなことを意識したことは一度もない。下らない。
 笹森:でも、友人は大事だよ。一般論だけど。
 黒川:僕も一人だったら今までやっていない。一緒に考えてくれる人間がいたからだ。
                       ~中略~
 笹森:知ってると思うけど、僕の身近に身体に障害を持っている人間がいる。
 黒川:うん。
 笹森:彼の日常生活を見ていると、驚かされることが多い。例えば、シャツを脱ぐ事だって、彼にとっては一大事だ。僕が意識しないような動きが沢山ある。腕が上がったり、伸びたり、それら一つ一つに必要さがある。
 黒川:まさにアルトーの「身体の発見」だね。
 笹森:それは「批評」なんだ。君の言葉で言えば。
 黒川:僕の上司の女性と、この前、話をしていた。彼女は男性の掌にフェティッシュがあると言っていた。でも、どうも話をよく聞くとそれは「手(指)の動き」なんだな。ペンの持ち方。文字を書くときの手の動き、指の動き。屈伸。ぼくは、この時はじめて彼女は「手(指)」を発見したんだと思う。それまで、彼女には「手(指)」が見えてなかった。それは重要なことだと思う。
 笹森:なるほど。
 黒川:彼女はバレエやってるんだけど、別に審美的な人じゃない。
 笹森:関係ないんだ。そんなことは。
 黒川:ただ、ふとした動きが華麗なときがある。
                       ~中略~
 黒川:言葉ってなんだろうと考えるときがある。主に発話に関してだけど。
 笹森:発話は拘束が多い。舞踏をやっている人でセリフ嫌いのひとはたくさんいるよ。
 黒川:いや…でも、俺はそれでは駄目だという気がする。声に発していなくても喋っている場合だってある訳でしょう。だったら、そんな表面的なことで問題が回避できたとは思わない。
 笹森:その通り。
 黒川:大野一雄なんて、もう相当な高齢でしょ。あの緊張感の中でチョット動く、チョット話す-話すといっても、本当に聞き取れるか聞き取れないかくらいの呻き声に近いものだったりするけれど-それでも、空気に響くような心地がする。
 笹森:身体はまだまだ開かれていないんだ。
 黒川:知的である限りにおいて、身体は思考する。
                       ~中略~
 黒川:今だから聞くけど、篠原ともえちゃんとどういう関係だったの?
 笹森:別に。知らない。
 黒川:相当な美人だったよね。
 笹森:君が入れ込んでたんでしょ?

 研ぎ澄まされた神経と、あまりに脆弱な身体のどこに酒を溜め込むのか知らないが、飲んで乱れず、話は次第に関係のない方向にズレながらも、笹森さんは黙して、美しき姿勢を保ち続ける…。
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by ecrits | 2005-10-26 04:12 | 友人

堀秀彰への手紙

 君がニューヨークへ行くという話を聞いて、僕はこの2.3日心がまるで落ち着かない。折からの神経症と、何か捉えどころのない不安感で、心が締め付けられるような気持ちがする。僕にその理由を聞かれても困る。どうせ君は僕がうつむきながらボソリと話し始めるのを、苦笑いの弱った顔で見ているのに決まっているのだから。
 堀君。だから僕は、君が日本にいないこのスキを狙って、君への手紙を書くことにする。書き始めるとキリがないこの手紙の顛末を、どうか知らずにおいてくれ。これは僕からのお願いだ。

 君という存在が僕の心に根を張り始めたのは、まだ柏nardisが以前の場所にあった頃、だからもう7年も昔のことになる。僕が女を口説くことと、美味いモルトをたらふく飲むことと、意味なく人を扱き下ろすのに必死になっていた頃、君はまだ早稲田で真面目な学生をやりながらピアノを弾いていた。「お互いに若かったな」- この感慨を吐くのにもう充分過ぎるほど、君も僕も大人になってしまった。あれは、特にライヴじゃなかった日だった気がする。君は小峯さんと談笑しながら、その年の手賀沼ジャズフェスティバルの話をしていた。君はブッカーズを飲んでいた。憎たらしいガキだな、と思ったよ。接さずとも、君の横溢する才能が距離を隔てて伝わってきた。君が帰った後、小峯さんが「あれが堀秀彰だ」と僕に紹介した。当時から天才の名をもって知られていた君のことを知ったのはあれが最初だった。
 思えば、長い付き合いになるな。nardisでライヴをやるときは何故かタイミングが合わなかった。最後のほうに僕がちょこっと顔を出すだけで、君は入り口の僕を一瞥して、ソロの間の悪さに唇を噛んでいた。最初は君も僕を厄介に思っていたんだろう?なんとなく伝わってたよ。爾来、店で会うときもチラッと目を合わせるくらいで、格別話もしなかった。僕も君のピアノに惚れていたことは否定しないが、僕は僕で、まだ「言葉」の絶対性を信じていたかったんだな。僕は思想の畑。君は音楽の畑。垣根があるように思っていた。
 俺が「思想工房ECRITS」をはじめて、『ECRITS』の創刊号を100部手作りして、ほうぼうの飲食店やホールなどにおいてくれるよう頭を下げまわっていたときだったかな。しかし、クリスマスだったような記憶もあるんだ。そのへんの時季があいまいだが、nardisで久しぶりに再会した。俺は君とはじめてふたりっきりで膝をつき合わせてしゃべった。小一時間くらいだったかな。その時はじめて君が俺と同じ年だということを知ったんだ。戦慄が走ったね。何がどうということはない、君には一生かかっても敵わないとハッキリ悟ったよ。同世代の天才にrespectを感じたのは後にも先にもあれが最後だ。君が知ってのように、俺の傲慢さは並ならないものがある。たいていのヤツには負けない仕事をしてきたと今でも思っている。でも、それは違っていたんだな。
 率直に言おう。君がいたから頑張ってこれたんだ。今でもその思いに変わりはない。

 君と女を取り合うようにして、僕は松山に引っ込んだ。それっきりだ。もう、あの女性とは続いていない。気が変わったら連絡してみたらどうだ。僕はこの土地にまだ暫くはいるつもりだから。
 だんだん湿っぽくなっていくな。僕はこういうのが一番嫌なんだ。嘘を言っている気分になってくる。今日のように神経を乱している日は特に。

 最後に一つ。君がやった広瀬潤次と吉田豊のトリオの演奏は今でも僕の神経症の緩和剤になっている。きっと、これからもそうだろう。それから、一番君に言いたいこと。「どうか体を大切にし給え」。
   愛憎の堀秀彰へ。最大の感謝を込めて。
   2005/9/3


   堀秀彰氏のHP→http://horinky.withmusic.jp/
   nardisのHP→http://www.hi-ho.ne.jp/k-nardis/shop_top.html
   アルバム『HORIZON』(BQR-2022)がインディペンデントレーベル より発売中!
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by ecrits | 2005-09-03 05:25 | 友人

井原秀和との対話 ~セクシュアリティの実践~

 8月28日深夜、仕事で松山に来ていた井原秀和氏と久しぶりに話をする。実に4年ぶりの再会である。以前、思想工房ECRITSの設立の折に世話になって、その後私の強い推薦で諮問委員になって頂いたが、その後の井原氏の多忙を極めるスケジュールと政治的な問題とがあいまって、結局、一緒に活動することはほとんど出来なかった。

 約束の時間に15分遅れで到着した私は、当日、松山大学城北キャンパスで行われていた日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う05´~生きる~』のキャンペーンの手伝いをしていたこともあって、例の黄色いTシャツにジーンズという格好であったが、そのような私の格好を見て「メディアに安易に擦り寄ろうとする黒川は不愉快だ」とのたまった井原氏は、自身のブランド“hide&skin”のチビTと称するにはあまりに窮屈な2分丈の青いプリントTシャツを胸部だけ鋏で切り抜いた、安っぽいアダルトビデオを思わせる上着に、荷物検査で説明するのに苦労したと言う発泡ビニールで作られた、雲をイメージした黒っぽいシースルーの奇妙なオブジェ(本来装飾のための展示品だったという)に強引に穴を開け、足を通しただけという奇抜なファッションで、私を待ち構えており、いったいどちらが周囲から不愉快に見えているのか疑う様相だった。
 ともかくも4年ぶりの親交をあたためながら、私たちは松山市中心部ロープウェイ街にあるカフェバー「ニライ・カナイ」で深夜まで談笑した。今も昔も「トランスセクシュアリティ」の実践者を自認する彼だったが、その道のりは決して平坦なものではなかった。性的には「ホモ」「変態」と世間から蔑視され、本業の服飾デザイナーとしてはキワモノの烙印を押され、業界から相手にされなかったという。「ツブシにかかりにさえしてもらえなかった」という告白にはあまりに切実な思いが込められている。以前から、「変態にさえなれないヤツを気にすることはない」と再三彼に助言を試みていた私だったが、今日の彼の活躍を見てみれば、その励ましも決して無駄ではなかった、というところだろうか。
 古酒の泡盛を、バッカスの化身とでも形容したいような勢いで平らげる井原氏は、どこで覚えてきたのか、バタイユばりの否定神学をべらんめえ調で語り続ける。区役所の戸籍謄本を発行する際、無意識に書類の「男・女」の欄の中点に印を付けてしまったというフロイト的錯誤を得意げに語る彼に私は突然噛み付いた。

 君は中性性などと得意がっているけれども、そんなものは存在しない。あったとしても、それは巧妙に偽装された似非男根主義なのだ。本当の意味での「トランスセクシュアリティ」を実践したいのなら、「性」自体を否定しなければ駄目だ。具体的には、ペニスを切断し、男性優位主義、女性優位主義ともに批判する場所に立たなければ。セックスがある「かのように」(森鴎外)ふるまい、発言し、パフォーマンスしなければ。安易な(性の)ニヒリズムが俺は一番嫌いなんだ。ニヒリズムは絶対性の否定みたいに思われているけど、それは違う。実は絶対性の要求なんだ。そのような反復は断固として抵抗しなければいけない。

 青じそ焼酎という普段飲みなれない酒に既に飲まれかけていた私は、こう彼をまくし立て、全否定するに至った。私の面罵を黙って聞いていた彼は、やがてぽつりと「なにはともあれボクは実践しているから」とこぼした。確かに、彼のパフォーマンスは日本の性差別を多少ならずも解消している。児童暴行などの問題点はあれど、変態性欲やフェティッシュ(奇妙なことに、この文脈でのフェティッシュというバタイユ的用法が日本で定着しつつある。フランス語の原意を重視するのならこのような性の広がりはむしろクイアーと呼ばれるべきだろう。)の視点も徐々に変わりつつある。実践者としての彼の働きに私は敬意を表している。少しハッとさせられた私は、彼に言い過ぎを素直に詫び、その後も看板を大きく越える午前7時過ぎまで共にしたたかに飲んだのだった。
 翌日(というよりも明けたその日だが)、10時(!)の飛行機で帰京した井原氏から、携帯電話にメールが届く。家で廃人のようになっていた私は、いまさらながらに彼の「実践者の神経の図太さ」に自分との隔たりを感じ、羨ましく思いさえするのだった。

 「チンチン切ってみようかなん はぁと」


井原秀和(円奴s)氏のHP→http://www.studio-k2.com/~maru/index2.html
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by ecrits | 2005-08-30 04:03 | 友人