カテゴリ:創作一般( 10 )

『Drama』(ⅰ)

 往来は相変わらず、砂煙が空へ舞い上がっていた。
 そうしてその空で、凄まじく何か唸るものがあった。
 気になったから上を見ると、ただ、小さな太陽が、白く天心に動いていた。
 自分はアスファルトの往来に立ったまま、どっちへ行こうかなと考えた。
       ―芥川龍之介『あの頃の自分の事』


「 新住所
 知らせるのが遅くなってすみません。
 何とか広島大学に合格することができ、いよいよ教師めざし、本格的に学べるようになりました。
 大学の周りはほとんどが学生の生活するマンションだけで本当に何もないところに大学を作ったような感じです。それでも新しく店がどんどんできているようで、生活には困らず、快適な毎日を送っています。
 これからもお互い夢に向かってがんばりましょう。
 またいつか以前のように一緒に遊びましょう。
   平成九年四月四日

「 黒川君へ
 連絡があったので来たのですが不在のようすですので、帰ります。このメモがちゃんと手元に渡るといいんですけど…。
 急ですみませんが新入生歓迎コンパの日程が決まりました。
 10日(土)…つまり明日です。
 集合は三時に柏駅東口のそごうのディズニー時計前です。予算はニ~三千円…だけどそんなに要りません。
 土曜日は朝から二時半くらいまでは家にいますので、このメモに気付きましたら連絡ください。それでは。
   1997年5月9日 20時15分

「 いつも応援ありがとうございます。
 先日はわざわざ信濃町まで来ていただいたのに申し訳ありませんでした。
 チョコレートは事務所のみんなでおいしく頂きました。
 また、秋くらいまでにはお会いできるといいですね。
 大学生活をエンジョイ! して下さい。

「 ディズニーランドは意外。
 東京に遊びにいくこともあると思うので、また、二人で遊んでください。

「 ようやく“寄せ書き本”が完成しました。一部郵送させていただきます。
 みんなの情熱が集約されていて、よい出来上がりになったのでは…と思っています。黒川さんの文章も独特で、全体の中でよいアクセントになっていますね。またの機会があれば、ぜひ御願いします。

「 親愛なるヒロユキ兄
 この前のcardに、死なざるを得なかった女優という魂、と書いてあったのに衝撃を受けました。そんなに業の深いものかな? もっと単純なことじゃないの?
 くれぐれも影響を受けたりすることのないように。シンパシーを感じているようなのはわかるけど。

「 夏も本番になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 私が誰だかわからない方も多いでしょうが、私はあなたの指導教員です。指導教員といっても特に何をするわけでもありません。ただ、何か困ったときにはお役に立ちたいと思います。もしも何か悩み事があったら遠慮なく連絡して下さい。私は悩みの相談に乗るのが好きで、特に切実な悩みであるほど力になれます。(なぜかと言えば私自身もとことん悩んだ経験があるからです。)
 夏休みをどのように過ごす計画ですか。今年は、何であれ自分が本当にやりたいことを思いきりやってみてください。
 ではお元気で!

「 きのう小田深山にいってきました。
 太陽の光が強く、繁茂する広葉樹の葉の裏側から透けて届いて、一面、緑の光の世界。渓谷の清流にも心洗われる一日でした。
 これは、小田渓谷から見た深緑の小田深山です。

「 イネコです!
 シーズンスポーツ、メッチャ楽しかったね。
 本当、いい思い出になったと思ってるよ!
 クロのサービス精神にはマジで感謝。いやあ、人を楽しませることに関しては見上げた男だよ、あんたは。イイ男だ。
 また、後期に学校で会おう! ショットバーにも連れてってね!

「 残暑御見舞申し上げます
 お久しぶり。俺は岡山で今暴走している。最近バイクで事故ってから足は骨折していて元気ではないが、結構順調に回復している。サークル、コンパ、飲み会、ツーリングなどに力を入れて遊び倒している。最近、酒が強くなったので、松山に帰ってきた際にでも一緒に飲みに行きたいなと思っている。じゃあ。
 小学生の書く内容で、ゴメン。

「 馬掘海岸&観音崎&三浦半島、お疲れさま。
 今朝全て焼き上げました。良い仕上がりになっていると思うよ。
 スーツのカットが全部ダメダメだけど(笑)陰が深い感じの美少年です。
 今度チェックお願い。こっちにでてくるときでいいです。

「 返事が遅くなってすみません。ちょうど後期がスタートしたため、なかなか時期がとれず、今日まで返事がのびてしまいました。
 こちらはCDレンタルショップでのバイトも初め、サークルやバイトに終われる並の大学生活を送っています。けれど日々がそれなりに充実しており、今の生活には十分満足しています。
 こちらはいたって健康ですが、そちらも体調には十分注意して下さい。
 初詣は今度こそ、一緒に行けたらいいと思っています。
 長文が苦手なため簡単な文章になりました。許して下さい。
   平成九年十月九日

「 イキナリ倒れたんだって? 大丈夫?
 体が弱ってるなら、ムリせずにちゃんと病院行きな。学校は大丈夫だから。ノートなら言ってもらえればいつでも貸すよ。
 専門的なことはよく分かんないけど薬とか飲むの良くないよ。悩みなら聞くからさ。
 同部屋(?)のイナカものどうし腹を割ろう。協調性を身につけよう。

「 返事が遅くなってすまない。
 先日、頼まれた二人の人物についてだが、大学の図書館の専門書で探したところ、人名辞典に載っていたので、そのコピーを送る。これだけでは情報不足かもしれないが、あまり遅くなってもいけないので、ひとまず送ることにした。時間があれば、もっと詳しい資料を探してみたいと思うがあまり期待しないでいてくれ。
 少しでも役に立ったら幸いである。
 体に気をつけて大学生活を自分のやりたいように楽しんでくれ。黒川の書いている小説は僕には理解できないけれど、ご両親も最近大分心配しているみたいだ。ちゃんと学校に行って、安心させてあげてください。  敬具

「 きょう、黒さんの三限の近代文学史(山口先生)の授業にお邪魔したのですが休まれていたようなので、こうしてお宅まで直接お邪魔してしまいました。急に申し訳ないです。
 さて、早速ですが、原稿依頼です。
 谷崎潤一郎をめぐるエッセイ形式の物。内容は自由に書いていただいてけっこうです。四百字詰め原稿用紙15枚程度。年末号に載せますので、十一月の二十日までに御願いします。いつも急ですみませんが、ヨロシクです。
   二松学舎大学 NGプレス代表

「 伊丹十三が※※※【作者により伏字】の奴らに殺された。
 黒川君の言うように、語られない歴史もたくさんあるね。
 それを掘り返すことは無理かもしんないけど、目の前でスルーすることがあっちゃいけない。死んだ人のためにも、事実は明らかにしないといけない。
 見過ごしちゃいけない。書こう。語ろう。

「 Nardis楽しかったね。いい経験になったよ。
 生ライヴとか初めて見れて、感動。カクテルもめっちゃ美味かった。
 今年のクリスマスは一生記憶に残る楽しいクリスマスだったと思うよ。
 また、デートに連れて行っておくれ!   イネコ

「 早々の賀状ありがとう
「 A HAPPY NEW YEAR
 去年の観音崎は、失敗してしまいましたね。今年こそは、成功を収めるためにもすぐにでも行きましょう!(一月は、やめてね)
 それと、久しく遊びにも行っていませんね、という訳で“観音崎経由その周辺グルメバスツアー”を敢行しましょう。では、よいお年を。
「 新年に幸せがいっぱい届きますように
 ことしも頑張っていきましょう!
「 賀正 今年も宜しくお願い致します 平成十年元旦
「 狐日和 ねぼけまなこの 甲寅
「 吉祥
「 元気ですか?
 今日、一月六日帰ってきたところです。大学は楽しいですか?
 自分の目的をみつけてがんばれ!
「 旧年中はお世話になりました。
 いつも応援して下さり、ありがとうございます。
 今年も黒川君にいっぱい幸せが届きますように。
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by ecrits | 2005-10-30 05:44 | 創作一般

『Drama』(ⅱ)


「 本当に久しぶりですねえ。前々から一度はハガキか手紙でも出そうと思っていた(←本当だよ。信じられないかもしれないけど)んだけど、なにせ私、筆不精なのね。で、電話しようと思ったら、電話番号聞いてないし。いやあ、やっと手紙を書くことができて私は嬉しい。ところで、今年も年賀状をどうもありがとう。返そうと思ったんだけど、なんとなく、手紙の方がいいかなあ、と思って。で、今日に至るというわけ。思いついてもなかなか実行しなくてごめんね。私はずいぶん礼儀知らずな奴だねえ本当に。申し訳ない。
 さて、大学生活も早いもので(←本当、はやかったよ。あっという間だった)もうすぐ一年がたとうとしていますが、そっちの生活はどう? 最近雪で大変だね。積もったのかな? 私は松山より寒い所では生活できそうもないので、きっと東京で(しかも一人で)生き抜くのは不可能でしょう。多分、普通の生活してないと思うね。勉強しないだろうね。ここ松山にいても何もしてないというのに。あ、もう分かったと思うけど、私は、結局家から愛媛大学に通っています。もう昔の話(一年前かな)だけれど、なんだかんだとあって、親ともめたりしたけど楽な方を選んでしまい、前期で愛大の法文学部人文学科に受かったので、ま、これでいいかなと。今となっては後悔してないけどね。でも、この一年で、私一体何を学んだんだろう? ってすごく疑問を感じてる。特に最近そう思うの。本当に毎日があっという間に過ぎてって、気が付けばもう一月なんだよ。でも、退屈な授業もあったりして。一年間けっこう真面目に授業も出たし、単位もちゃんと取れたけど、でも身に付いてない感じ。これでいいのかなって思う。今はまだ講義や概論ばかりだからそんな気がするのかもしれないけど、演習とかが始まったとき困るの自分だしね。黒川(←こう呼ぶことにします)は充実した学生生活を送ってる? それならいいんだけど、私みたいに、大学で何を学ぶのかまだ分かっていないと、自分の将来も全然見えてこないし、だんだん不安になってくる。もしかしたら無駄に時間ばっかり過ぎていってて、気がつけばあれもやればよかった、これもやればよかった、って後悔しそうで。
 まあ授業はさておき、毎日楽しい? 一人暮らしも慣れれば天国でしょ? 大変なのは分かってても、やっぱり羨ましい。いろいろ学べると思うし。生活するっていうのがどういうことなのかわかるからね。私は自宅生だから、何から何まで自分でしなくちゃいけないわけではないから。できるだけ手伝ってみたりはするけど、バイトがあったりすると、家にいないこともあるし。そう、バイトといえば、知ってたっけ私のバイト先? 三月からバイトしてたから、もしかしたら言ったかもしれないけど道後北代のどんきほーて(ケーキ屋なの。知ってるよね?)で、夜五時~九時まで、週にニ~三日だけど、働いています。楽しいし、しんどくないからとても気に入っています。ケーキはどんなに見てもあきないし。黒川は何かバイトしてるの? そっちは松山と違って時給もいいし、いろいろあるでしょ? なんか変わったのとかしてそうだなあ。それとも住んでいる所はそんなに都会じゃなかったりする? あ、でもそっちは電車があるからいろんな所へすぐ行けるもんね。実は五月に中華街(など)へ、八月には神奈川、東京へ遊びに行ったんだけど、どちらも強行スケジュールだったため、黒川の所へも行ってみたかったんだけど体力的に限界でした。大学の友達で一番仲のいい子が実家が茨城なので、今度その子の家に遊びに行くことがあればぜひ私と遊んでね。あ、でも長期休暇中は松山に帰ってきたりしないの? 去年も、1回くらいは帰って来てたの? 長期休暇中、私の周りの一人暮らしの人たちはたいていすぐ帰ってしまい、いつもギリギリまで実家にいることが多いんだけど、帰らない人は本当、帰って来ないよね。果たして黒川がどちらのタイプの人間なのかよく分からないけどなんとなく、あまり松山に帰って来ないタイプのような気がする。だって全然会わなかったもんね。ま、いろいろあるんでしょう。私は、黒川はなんとなくそっちの生活の方が性に合ってると思うし。一体どんな暮らしをしているのか気になるね。今でも執筆活動は続けてるの? それともまた別の事でも見つけたのかな。とにかく毎日ちゃんと生きてさえいればよしとしよう。なんかねー、体ボロボロにしながら生活してそうで。くれぐれも健康には気をつけるようにね。私立だからもう試験始まってるでしょ? 風邪ひかないように。ひまになったら連絡下さい。あの、電話番号なんか教えてくれると嬉しいかも。それでは、乱筆乱文読みにくい点も多々ありましたが、これにて失礼。
 先月末にとったプリクラ。今もこんな感じ。
   一月十八日 ※※※【作者により伏字】

「 いつもご来店ありがとうございます。
 来る二月九日に「HAMA」は皆様のおかげをもちまして創業十五周年を迎えることとなりました。
 つきましては、黒川様に八日に催されます記念レセプションにご出席賜りたく御願い申し上げます。
 大変お忙しいとは存じますが、出欠のご返事を取り急ぎ申し訳ございませんが、一月三十一日までに御願い申し上げます。
   乃木坂 ステーキハウス HAMA
 追記・平様もいらっしゃいます。ぜひ皆様でお越しくださいませ。

「 黒川寛之様
 拝啓 お元気ですか? この前は、お見舞いありがとうございます。
 一月二十六日に退院することが出来ました。心配をかけて申し訳ないです。
 今は、まだ無理のきかない体だけど、来年の受験に向けてゆっくり体を作ろうと思います。
 最後に、こちらでは、インフルエンザが流行っているので寛之も体に気をつけてがんばってください。
   追伸 松山に帰ってきたら、連絡ください。

「 「邂逅」のスピード論読みました。同感です。
 気になったのは「物語」ってどういう意味なの。非常に多義的に用いられているようだけど。そこら辺の説明があったらもうちょっと良かったかな…と思います。

「 井上の論考みたいなやつ読みました。どうもねえ…。
 率直に言うと、あまり私的に個人をもちあげて賞賛するような文章を作らないほうがいいと思う。対象が役者なんだったら、なおさら感心しません。井上の場合にはそれが商業ベースで受け入れられているから誰も何も言わないけれど、もしそうじゃなかったら、あれはヒドイよ。黒川君が書くものじゃないと思う。
 問題意識があるのならもっと平板化して一般に向けて書くことをオススメします。べつに小説でもエッセイでも批評でもいいじゃない。批評だったら小林みたいなパサージュ形式でやっても一応読まれることを意識しているとは思う。
 思想工房エクリ(だっけ?)の話は賛成です。出来たら、僕もぜひ入れてください。
 とにかくもっと広く通じる言葉で書かないと。頑張れ!

「 どうも、筆不精なんだけど書いてみます。
 入試はね、二月九日からなんだよ。今も勉強のヒマを見つけて書いてます。イヤ、ホントに…
 センター試験は終わったんだけど、結果があまり宜しくなかったものでね。
 ニ三日前にもらった手紙に「自分が虫のような錯覚に陥って」とあったけど、ならばいいことを教えてあげよう。
 手順①まずは本屋に行って昆虫図鑑を買って、自分がどんな虫なのか明確にしなさい。
 手順②どんな虫か分かったら、飼育方法を見てその通りにしてみなさい。
 結果 きっと活路が見えてくるでしょう。
   PS トモザワ君にヨロシク!

「 黒川さんも既にご存知のことと思いますが、先日新井将敬衆議院議員が亡くなりました。自殺でした。提出された問題はなんら解決されることはなく、全ては闇の中に消えてしまいました。単純なカネの問題であるにもかかわらず…
 知人に日本の右翼思想史を研究している人間がいます。今度会ってやってもらえませんか。紹介します。
 マスコミが作り上げた「右翼左翼」イメージで語られることが多すぎるという先日の話ですが、そのあたりの続きをしてもらえれば、と思います。

「 返事がすっかり遅くなってすまない。
 引越しをすることになり、新しい電話番号が決まるのを待っていてこうなってしまった。ということでさっそく新しい住所と電話番号をお知らせします。
 引越しは三月二十日にする予定です。
 そちらも大変なようだが詳しいことを知らない僕にはがんばれということしかできない。体に気を付けてがんばれ。   小学生以来の親友より

「 なんとか法学部に入学できる事になったので報告しておきます。
 また夏に帰ってきたら遊びましょう。
   PS どんなバイトやりはじめたの? トモザワ君によろしく

「 元気? 写真送るのを遅れてごめん。いろいろ忙しかったので。
 話は変わるけど、体の方は調子良くなった? 俺の方は、少し悪いけど何とかもってます。この前、自分が手紙に書いていたことだが、心の調子がおかしくなったのなら早い段階でちゃんと病院にいくことを勧める。
 俺は今年は自分の限界に挑戦して、去年の雪辱をはらしたいと思う。
 また夏に帰ってきたら連絡して。それでは体に気を付けて。
   追伸 川原覚えてる? 愛大受かったんだけど、本人がその結果に満足ができず仮面浪人をする様子。あと、本人から、よろしくと。

「 突然の事故だったので、びっくりしています。あれは事故です。絶対に。
 私のほうで例のメンツを連れて行きますので、明日、築地本願寺で待ち合わせしましょう。午後一時で。
 来れなくなったら、連絡して下さい。
 急ぎ連絡。ヒロユキ兄へ

「 黒川君
 小説を読ませてくれてありがとうございます。
 私は小説を書いたことがないので、批評することはできないけれど、クラシック音楽を聴きながら小説を読むのは初めての経験だったので、その実験的な試みに新鮮な感じがしました。
 私は文章を書くのが苦手なので、小説を書ける人が羨ましいです。
 これからもずっと小説を書き続けてください。
 それからこのCDいただいていいの?
   かおり より
   平成十年五月九日(土)

「 黒川へ
 この前は電話ありがと。やっと電話持つようになったわけかー。友達、喜んだでしょ「これでつかまる」って。ベルも電話も持ってない人ってなかなかつかまらなくて連絡取れないんだよ。特に急いでる時なんかは。私もね、黒川にちょっと聞きたいこととか、今話したいこととかあっても、電話ならすぐ相手につながるけど、手紙だとすぐってわけにいかないからね。Eメールとかあればいいけど。(うちはあるけど、結局相手が持ってないことが多いからメールのやりとりする人いなくて。もしかして、学校とかにあったりする? もしあればアドレス教えてね)で、手紙をなかなか書かない私はつい疎遠になってしまう、と。一度書き始めれば書くんだけど、そこまでが思いつき悪くてやらないんだよね。めんどくさがり屋なの。だから、いつも黒川がハガキとか送ってくれるたびに、「あ、書かなきゃ」って思うの。悪いね。ごめん。でも送られてくるのは好きな方なので、くじけずこれからも何かあったら書いてね。さて、はやいものでもう6月になってしまいましたが元気でやっているんでしょうか? ちゃんと朝起きて夜寝る生活してる? ま、私が心配するほど普通じゃないって事は無いと思うけど。2回生になって、そろそろ専門の勉強とか忙しくなってきたよね。私、今学期はちょっと真面目に頑張ろうと思って(いや、本当はいつも真面目なんだけどね)授業もたくさん入れて、夜間の授業にも出たら、けっこう忙しくなっちゃった。そして、最近週1で家庭教師始めたの。あと、ドンキのバイトが週3でしょ。そうなると、「なにもない」日って本当少なくて。おかげで毎日あっという間に過ぎていってる。することもいっぱいあるし。とりあえず今はレポートも終わったし、宿題もたくさん出たりしてないからいいけど、来週中間テストが一つある。毎日じゃないけど週に三日くらいは予習もしなくちゃいけないし、遊びにいく暇がないんよ。ショットバーもしばらく行ってない。あ、そういえば話変わるけど、お父さん、キーストンバーのうえに店出したんだよね。今度友達と行ってみよっかな。「黒川君とは長いつきあいなんです」とか言ったら、オマケしてくれるかな? といったふうに、ずいぶん遊んでいません。でも、元々そんなにひんぱんに遊びたいほうじゃないから今のままでも充分かな。そんなにいつも遊んでたらお金なくなっちゃう。体調も崩すと思うし。お酒も、定期的に飲む習慣があるわけじゃないから、飲まなくても平気。最近体に気を使うようになっちゃって。飲んでも昔みたいに無茶できなくて。翌朝のこととか考えちゃうとハメ外して飲めないの。自分をいたわるように加減して飲んでる。まだ未成年なのに、こんなんじゃよくないかな? でも、量じゃなくて、楽しんで飲めたかどうかっていうほうが大事だから。昔ほど量にこだわってない。大人になったっていえば聞こえはいいけど、要するに年とったってことかな。ああ、でもまだ10代なんだよね、私。もっと気持ちを若くしなきゃ! もしかしたら今が人生で一番いいときかもしれないし。20代はあっという間にすぎるって言われたし。落ちつくにはまだ早いかも。
 ということで大学生(若者)の特権を生かして、六月の、メッチャ平日に、旅行をすることにしました。(っていうか、六月だけ祝日ないんだよね。困るから何か作ればいいのに)11日(木)の昼の飛行機で行って、14日(日)の飛行機で帰るの。行き先は一応電話で言った通り、国立(くにたち)音大にいる友達に会うということで。木曜日はその友達が浜松町まで迎えにきてくれるの。一人で飛行機に乗るのは二回目だから多分大丈夫。しかし,この話にはウラがあって、友達と会った後、私がどこへ行くかは想像すれば分かるでしょう。つまり、本当の目的はこっちなんだな。電話では言わなかったけど、そういうことなの。だから、木曜日以外は多分黒川に会おうと思っても会えないかもしれない。彼氏と一緒にいるのに疲れたら会うかもしれないけど、一応私も女の子なので、やっぱり好きな人と一秒でも長く一緒にいたいな、と。別に黒川に会いたくない訳じゃないの。分かるよね。ただ時間が限られてるから。だから、もし会おうと思ったら、電話するね。一方的になっちゃうけど、ごめんね。私のポケベルは愛媛県内でしか使えないので、黒川が私に連絡することはできないんだ。こういうとき、PHSとかにすればいいのにって思うけど、まあめったに県外行かないから。それに連絡とれない方が都合がいいってこともあるし。
 いろいろ長く書いちゃった。私、いつも手紙書くと長くなっちゃうんだ。汚い字で本当ごめんね。読みづらいし、文法的に(?)おかしな所もあると思うけど、まあ、これは手紙なので、細かいことは気にしないで。いそがしいけど、毎日頑張るよ。黒川も体に気をつけて、毎日ちゃんと生活するんだよ。じゃあね。
   六月一日 ※※※【作者により伏字】
   PS 今まで言ったことなかったけど、実は私の彼氏の名前“※※※【作者により伏字】”なんだよ。漢字違うけど(※※※【作者により伏字】なの)。それだけ。
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by ecrits | 2005-10-30 05:43 | 創作一般

『Drama』(ⅲ)


「 先日はありがとうございました。
 黒川様を含め、皆様方からのご支援と千名を超えるご署名とにより、当日の記念校舎解体工事を食い止めることができました。
 これからも我々「貧学連」は、学生がよりよく勉学に勤しめる環境を作るため活動してまいります。今後とも、皆様のご協力のほどよろしく御願い申し上げます。
   貧乏な学生生活を応援する会 一同
   追記 平さん、今けっこうヤバイらしい。黒川君も気をつけたほうがいいよ。業界のクズ連中が追い込みをカナリおびえてて、今、必死に脱出工作してる。沈む船からはネズミが逃げる。※※※【作者により伏字】号ももう終わりだな。誰か何か聞きに来たら、知らぬ存ぜぬが身のためだと思う。一応、忠告しとくよ。

「 寛之へ
 白形、分かるよな?
 どうも、具合が最終段階まで悪いらしい。河野が言うな、って言ってたけど、伝えとく。
 すぐ帰ってこい。
   六月二日 於・松山

「 本当につらいときには、言葉も出ないというのが本当のところだと思います。
 井上氏と決別したのは、黒川君にとって良かったのではないかと僕は思います。
 これからです。ひとりかもしれないけれど、これからです。
 正念場ですよ。政治的な姿勢を決めるのも。一人でやっていく覚悟を決めるのも。
 人死にて 雪駄の淡き 鼻緒かな
 頑張れ!   貴志

「 黒川君
 先日はありがとう。
 それから、例のCDもありがとう。
 突然で驚いたけれど嬉しかった。
   かおり
   平成十年六月九日

「 今、漱石論集成に少しずつ手を入れている所です。完成したら、ぜひ文研に発表させてください。
 ってことで、原稿依頼です。文芸の時事評の部分に載せるつもりなのですが、ここ三ヶ月以内に公開された映画の映画評。論評の文体は自由ですが、黒川さんの言葉でいう「自己意識」を否定した、“外部へ”みたいな論旨でお願いします。マルクス参照とかでもオッケーです。エッセイ風がいいかもしれません。前にTokyo Film Styleのヤツが載ってましたが、あれはgoodでした。ああいうのをウチに下さい(笑)
 期間は二週間くらい。五枚~十枚程度でどうでしょう。出来たら、部室の箱の中に置いといてもらえたら。いずれ見ます。   篠原

「 黒川君へ
 小説集をありがとう。私ね、今回の作品が一番好き。
 今まで黒川君の小説を読んでいた時、ドキッっとすることが多々ありました。そして今回の作品には驚きました。小説を読んでいる時から涙が出てきて、その後黒川君からの手紙を拝見したら涙が溢れていました。正直言って、私の日常とは少し遠い世界が繰り広げられており、それが現実ということに少しショックを受けました。でも黒川君に対しショックを受けた訳ではありません。私は、黒川君が過去の自分をきちんと認識して、今は良い方向に少しずつ近づいているのなら、とてもいいことだと思います。過去は過去だとかたづけるというのではなく、その過去を土台としているから、今の黒川君が存在している訳ですし…。
 きっと苦い過去だと思いますが、そういった過去を経験している人は、人の心を表面だけでなく、内面から読み取れる人なのではないかと思っています。
 私は、自分の恥ずかしいことは隠そうとするから、いつも見栄を張っている気がします。私の好きな花の花言葉が“正直”と知り、正直に生きたいなって感じました。(感じるだけで実行にうつせない自分が情けない。)
 最近、紫陽花の花が目立ちはじめ、小説の最後の場面を読んでいるとき、黒川君と私で津守さんの家に向かって歩いていた時、路傍で紫陽花を見たことが思い出されました。
 どうして今回の作品が一番好きなのかは、私に何かを気づかせてくれた気がするから…。
 小説を休筆してしまうことには、少し淋しい気がするけれど、次回作がいつか読めることを願って…。
   かおり
   平成十年六月十四日(土)

「 黒川へ
 どこで何をしてる? 生きてるのか?
 家にも帰ってないみたいだし、こっちにも顔を出さないし、みんな心配してるぞ。
 お前、ものすごく勘違いをしてないか? 昨日、俺の家には誰もいなかった。これは本当だ。もし、そこに最後まで引っかかっているんなら、完全にお前の誤解だ。
 このメモに気づいたら、俺にだけでもいいから、連絡してくれ。お前とは、親友だと思ってるから。信じて、待っている。
   ※※※【作者により伏字】

「 先日はありがとう。
 私、かなり無神経だよね。
 でもこれが私だから…。
   Fromかおり
   平成十年六月二十八日(日)

「 黒川君
 この前のパーティーイベント参加してくれてありがとう。マジで朝までお疲れ様 笑
 今度両国で4℃の人達とライヴやるから、また見に来てね。チケット送るわ。
 本はマスターからもらった。ありがとううう。
 七日にお茶の水NARUで椎名さんの新作CDプローモションがあるから、次はその時会おう! 一世さんもその時紹介するよ。じゃあね。

「 暑中お見舞い申し上げます
 暑い日が続きますがそれに負けずに元気にお過ごしください。
 元気か? 僕は芝居ばかりしている。舞台に立つのは楽しい。舞台の上で演じることは違う人生を生きることだ。役者をやることが一番人に認められることかもしれないと思っている。僕は誰かに認めてもらうために生きているのかもしれない。特に自分の子どもに。

「 暑中お見舞い申し上げます。
 久しぶりですねえ。なんとなく黒川には暑中見舞いのハガキを出したくなったので。びっくりしたでしょう。私もびっくり、というのは嘘です。もうテスト終わった? 私は今真っ最中です。早く八月になって欲しい。帰ってきたらぜひ飲みに行きましょう。私、ピッチを持ったので一応番号を下に書いておくね。では来月会いましょう。

「 民族派の人達と会ってるの? 最近。
 そういえば野村秋介が死んでもう五年ぐらい経つわけか。早いね。
 この前の手紙に日本には右翼と左翼がある種の協調性を持ってやってた時期があると思う、って書いてたけど、ホントそうだよね。今は本当に知的な右翼も左翼もいなくなっちゃったよね。分裂してて。対話そのものが成立してない。そんでそのまま知的なポテンシャルが下がっていった。そういう所を変えていきたいわけだよね。
 ただ、今の時代の言説にそういうものが必要とされているのかな。俺はそこが疑問。

「 拝復
 御葉書、拝見いたしました。残念ながら、教えてさしあげることはできません。僕がもっている住所録は、僕が一年の時のもので、多くの同級生が一人暮らしのため、皆、引っ越して、住まいを新たにしている人が大半なのです。申し訳ない。君からの葉書に「今の状態では…文学研究会の存続は絶対に不可能」とありました。僕が二年のときがまさにそうでした。そのときは僕もそう考えました。先輩は九段にいてアテにならず、後輩は菱沼と××(忘れた!)だけでした。その中で出した『邂逅』は大変なものでした。具体的な対応法やサークル員同士のコミュニケーションのとり方などは何も申しません。その時々で、人間関係も組織のあり様も異なるものです。ともかく、存続させること。「絶対」的な不可能など存在しません。少なくとも僕はそう信じる。もう一度いいます。存続させること。文学史をよく御存知ならおわかりでしょう。文学は常にあらゆる政治性との戦いであり,文学史はその歴史であると。「溜息」を出す前に「精気」を持って戦って下さい。
 ちなみにサークル存続の戦いについては、僕の事例なら菱沼がよく知っているはずです。もう一つちなみに、OB・OGに関しても、消息不明が多いのが現状です。僕が協力できる点で他に求めることがあれば、おっしゃってください。お答えします。
 なお、最近君が画策しているグループについては、僕はあまり感心しません。政治団体にも“超”党派性を名乗ったグループがいくつもありますが、それらにしても一定の文脈で利害関係があるから結びついているだけで、現実的に何のコネクションも持っていないであろう君の宣誓で、そのグループに参加してくれる人間が、どれだけの頭数集まるのかと考えると、甚だ疑問です。左翼の連中とも必要があれば組みますよ、という君の発言はいさぎよいものかもしれませんが、少々いきり立ちすぎているのではないか、という危機感を感じます。法政にも明治にも早稲田にもいまだに六十年代そのままの格好をして本人達は政治活動だと思っている阿呆な連中が現実に生き残っていますが、そういう連中にはなって欲しくない。必要なのは、今の時代に流通する言語で語ることではないですか?
 君の文章がそのような下らないもののために消費されないことを願っています。
 敬具

「 黒川san
 エクリの件ですが、学校のサークル登録に関しては問題ないです。あと、柏か松戸に編集用の事務所を借りたいと思っています。賃貸契約なので保証人が必要です。その点だけお願いします。
 当面の運営費用や経費はみんなで折半することになると思いますが、風間と熊谷が協議してやっているみたいです。報告は彼らから受けてください。
 創刊号は百部。ニ松と明治と早稲田で配る予定です。その時にメンバー募集を同時に掛けられたら良いと思っています。演劇部門に関しては一戸さんが先導してやるみたいですが、結成はまだ先でしょう。都内で活動している団体が協力してくれるかも、とか言ってました。必要なら会って話してください。以上。

「 黒川へ
 返事が遅くなってごめん。私もここニ、三ヶ月メッチャ忙しくて手紙を書こうと思っても、ままならないことが多くて…。ところで新グループの同人誌の件ですが、出来たらぜひとも送って下さいな。読んでみたい。私なんかが読んでも難しいかもしれないけど、黒川がどんな風に変わったのか一度読んでみたいと思っていたの。送ってもらってもすぐには読めないかもしれないけど、冬休みもあるし、楽しみにしています! 帰省するなら、その時でもいいよ。ではまた。体に気を付けて。

「 黒川san
 深夜までお疲れ様です。ささやかなものですが、心ばかりの差し入れです。よろしければ召し上がってください。
 第1回の合同シンポジウムの件ですが、発言する学生の会と一水会の学生の人達でやっていく案が浮上中です。その場合、討議形式になるかもしれません。これはこれで別に開催するべきでしょうか? 安倍氏と会って話したのですが黒川sanの御意見をうかがえればと思います。来週のミーティングは欠席しますので議題をお願いします。
 根回し必要なら12月20以降付き合います。
   12月4日 am1:38

「 二十一日の松山行きの件ですが、午前八時二十五分発JAL1463便をお取りしております。私たちも同便で同行させていただきます。同行者は、私と笹川と渡部の三名。航空券は近日中にデスクにお持ちします。
 会合の際に手土産必要ならば早い段階で相談してください。モノのすりあわせも考えないといけませんので。
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by ecrits | 2005-10-30 05:42 | 創作一般

『Drama』(ⅳ)



「 謹んで新年のお慶びを申し上げます
 本年も様々な事を御教授下さいますよう宜しくお願い申し上げます。自分も男を磨いてゆけるよう精進していきたいと思います 平成十一年正月
「 明けましておめでとうございます
 今年も宜しくお願いします 平成十一年元旦
「 明けましておめでとうございます
 昨年も一年間ありがとう。クロは年末急に松山に帰っちゃうし、矢野も学校辞めちゃうし、イネは柔道部を辞めたし、淋しいっす~。でもやっぱり今年もよろしく。今度はクロもコンパ行こうよ! あっきーは、ナーディスは苦手らしいので。学校にいる間は、学生のうちにしか出来ない無鉄砲なことをいっぱいしような!   イネ
「 its show time!  大凶ナリ。
 明けましておめでとうございます。今年はとうとう世紀末ですね。何が起こるのかわかりませんけれど、とりあえず正月を向こうに持っていかれずにお年玉なんぞをもらえるというのはうれしい限りですね。
 お年賀で失礼しますが、『青い花』創刊号の脱稿、製本の年でもあります(私一人が遅れて偉そうな事は言えないですけれど)。文芸が好きでたまらないもの同志、今年も大いに書ける年になるといいですね。ではまた学校で!
 初単位なるか、迎春の今頃
「 賀正
 お元気ですか。今月十六日に、発言する学生の会の方で新年会があるようですが、出席しますか? またお会いできる日を楽しみにしています。
   追伸 書簡頂いたのに返事書けずにスイマセン
「 A Happy New Year 1999.1.1
 去年は設立のお手伝い、運動に参加してくれてどうもありがとう。皆様にも、感謝。
 あと、おいしいワインの店もありがとう。お互いまだ未成年なのにね。作家と学生の二足のわらじを履いて色々と多忙だと思うけどがんばれ!(それしか言えない私)
 今年もよろしくお願いします。
「 めでたきかな 元旦
 元気ですか。思いがけず年賀状もらって、ずいぶん大人になったなあとびっくりしました。ひまがあったら遊びに来て下さい。
「 あけましておめでとうございます
 賀状ありがとう。初めて一人のお正月は如何でしたか。成長を楽しみにしています。
「 謹賀新年
 あけましておめでとうございます
 素晴らしい年賀状ありがとう。お手製かい? なかなか会えないが今年もよろしく。
「 変形正月
 ←泣いているの?
 ― ガオ! 喪中星人が現れた! ―
 ※喪中につき、普通葉書にて失礼致します
「 謹賀新年
 昨年中は色々と迷惑やらお世話やらかけてしまいました。今年も何とか頑張っていくつもりです。本年も宜しくお願い致します 平成十一年元旦
「 昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。
 この前の手紙に返事が書けなくてごめんなさい。教育実習があったため忙しく、返事を書く暇がありませんでした。大変失礼なことをしたと反省しています。
 新グループのことですが、ぜひ参加させてください。お願いします。
 今年もお互い夢に向かって頑張りましょう。
「 賀春
 謹んで新年のご祝詞を申し上げます。旧年中は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。本年もまた倍旧のご愛顧のほどお願い申し上げます。
 わがスタジオモロスの若いのにも会いに来てやってください。また、池袋で。
「 あけましておめでとうございます
 届く日が遅くなりましてすみません。未熟者の私ですが一生懸命勉強しますので、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
「 謹賀新年 平成十一年
 今年は、長編を期待。批判する人は沢山いると思いますが(僕もその中の一人)小説は可能性としてはまだまだあると思うので、頑張れ。
「 お便りいつもありがとう。元気そうでなにより。

「 明けましておめでとう。今年もよろしく。
 今、風邪を引いて寝込んでいます。
 この前、電話したときに大学のことを手紙に書くと言ってたので書くね。
 一時期自分の中には有名大学に行きたいという気持ちがあったけど、自分の力不足と気持ちのズレで受けることをやめた。
 一番の原因は自分が勉強しなかったことだが、他に学歴というのが、自分の中でトラウマになっていた。今まで、二年間ずっとそのことで自分が動いてきたような気がする。それが、結局、お前に早稲田に行く!とあらぬ宣言をしたり、お門違いのプライドで彼女ともめてしまったりした。大変情けないと思う。
 でも今は、原点に戻って、前から志望していた福祉系の大学に行こうと思って、努力している。もう、迷わないと信じている。
 正月は丁寧な年賀状ありがとう。相変わらず心の調子が悪いようだけど、どう? 無理しないようにしないと。お医者さんにはかかってる?
 帰ってきたら、必ず連絡して。
 また、手紙を書きます。

「 拝啓
 ニューイアーカードは、基本的にメール配信しているので。失礼いたしました。
 第二号の原稿本日アベさんから頂きました。創作もイケるクチなんですね。イメージとちがうので多少オドロキです。
 今年は雑誌にシンポに舞台に秋には上高地といよいよエクリ本格始動って感じですね。あとはメンバーがもうちょっと増えて…あと人材発掘かな? とか勝手に進路決めちゃってますけど。
 池袋のもるとや新しくなったらしいですね。二号の編集終わったら、またみんなで飲み明かしましょう。

「 黒川へ
 元気ですか? 俺は元気です。
 忙しくて名古屋に帰ってきたのが一月十二日だったため、返事が遅くなってしまった。ゴメン。
 そっちはバブリーな生活のようですが、くれぐれも浪費には気を付けて。付き合いでやっているんだと思うけどね。
 サークル運動を現実の運動にするためにがんばっているようですね。うまくいくことを願っています。

「 前略
 寛之君元気ですか?
 『五体不満足』読みましたか。あなたのお父さんは雪にも雨にも負けず深夜まで働いています。社会人として父親として当然ですが、あなたも努力して三年で単位を全て修得することに専念してください。今の言論の状況は知名人に縋る外なく、そのためにぜひ足早に大学をクリアしておばあちゃんにお世話させてください。おばあちゃんも頑張ります。体に気を付けて、おじいちゃんおばあちゃんを喜ばせてください。お願いします。
   かしこ

「 元気にやっていますか。こちらはやっとテストも終わり春休みをゆっくり過ごしています。
 手紙読みました。本当に懐かしい名前の連続で驚きました。もうずっと会っていないけどみんなどうしているのかな。小学生だった僕たちももう成人だと思うと、時がたつのは早いものです。中須賀先生もすっかり年配になってしまったのだろうな。元気でおられることを祈ります。最近の君からの手紙には、昔の、みんな同じくらいの背たけだった頃の話しをよく見かけます。君がそうやって思い出話をするときはいつも、もう元には戻れないような、ただならぬ悲壮感を感じます。また、やっかいなことに巻き込まれて、それを一人で背負い込んでなければいいのですが。
 僕のことを報告させてもらうと、今は来年度の行事の準備にとりかかっています。来年度の夏休みに教育学部数学で合宿をやり、三日間ほど教育についてディベートするといった内容のためのものです。これは毎年行っている行事で普段以上に教育者に必要な物を感じることができ、教育学部に入ってよかったと思えるときの一つです。今回は三年である僕達が中心なので、今からその材料のために話し合いをしています。ただ、参加するのと運営するのとでは全く違い、とても大変ですが、今はその苦労を楽しんでいます。
 そちらは、他大学にもサークルの輪を広げて活動しているようですね。精力的に活躍しているようで、みんな自分の意思でしっかり生きているんですね。僕はまだ大学を必要としているので卒業まで頑張るつもりです。環境は違うけどお互い頑張ろう。
 三月になったら松山に帰りたいと思うけどまだ決定はしていません。大きくなった君とまたいつか一緒に遊べたらいいと思っている。それでは。

「 お元気ですか。もしかしたらこの手紙は黒川君の手に渡ってないのかもしれませんね。“思想工房ECRITS”どうなりましたか。どうしていますか。心配です。
 東浩紀氏の著書については、ジャック・デリダをもう一度考え直しているところです。まだ、しっかりしたことはいえません。
 今、大学(院も含めた)全体のレベルが下がっているといいます。アカデミックな学問の場でなくなり、カルチャースクールのようになっているといいます。様々な要因が考えられるとは思いますが、その中で何を為すかは依然として個人の課題ですので。流されるか。流れに掉さすか。流されるパフォーマンスもいいかもしれませんが。
 黒川君の感じている危機感は、今アカデミズムの現場にいる全員が感じている危機感です。決して君一人の問題ではありません。だからこそ、君の活動がいかに切迫した危機感から発せられたものであれ、単純な左翼ごっこ(たとえば論壇。あるいは政治活動の名を借りた児戯に等しい妄想や運動)に回収されてしまうようなことは望みません。普通に研究所でカント論やベンヤミン論をやればいいのではないですか?
 また会えることができれば嬉しいです。和田君ももう一年いますので、飲みにでも。否、お茶でいいですが。その時は君のとりまきみたいな人なしでね。それでは。お体大切に。
   99,4

「 連絡があってきたのですが不在のようなので帰ります。冷凍庫のほうにシューマイいれときました。ビールもまだあったと思うので食べてください。
 正式な報告は後日になると思いますが、概要だけ。
 アドバイサリーボードは鈴木さん、星さん、安藤先生、堀くん、デュエン・モートン氏の五人。これ仮決です。副代表にアベ、南部。雑誌の責任編集が黒さんにしてもらって、舞台代表が一戸君。あと、実行委員として黒さんを筆頭に交渉役やカネを集める連中を内外から選出したいと思います。斉藤さんに協力してもらってマスコミ系と出資団体と。これからは営業的な方向が忙しくなってくると思います。一般会員についてはおまかせします。例のカード方式でいいとおもいますけど。

「 黒川へ
 長い間返事も出さず無礼を働いた私を許してくださいね。私は思いつくまでやらない、という性格で。そのかわり、思い出した時にはこうやって相手が忘れた頃に手紙を出したりする、非常識な奴です。というのも三月、四月とバタバタしていて。特に四月。入学シーズンというのはやはり、わずらわされたくないことのオンパレードで、好きでもないのにビラ配ったり、別に入ってこなくてもいいのに、と思いつつ一応新入生を勧誘したり…と。五月になってもさほど変わらず、この間は総勢60名で新歓を行い、多すぎてクタクタ。私は会計という仕事があるため、途中で帰ることもできず。バドミントンのサークルなんだけど、この間の練習日には新入生がどっとやってきて、バドミントンなんかできるかーっ! という状況に。今だけでどうせみんな来なくなるのよ、と愛想良く対応している自分がちょっと可哀相だな、と感じる今日この頃。学校生活に多少の嫌気を感じてしまい、ついつい煙草に手を出すハメに。といっても一箱あけるのに一ヶ月近くかかるペースなので御安心を。あ、でももう堂々と喫煙できるんだったよ…。
 ところでそっちは元気でやっているの? 古い話になるけれど、この間はガラにもなく病気になったりしたせいで結局話もできず、ごめんね。今でも少しは気にしているの。でも、正直言うと、あの時は、熱に浮かされてて、自分の事で精一杯だったの。それに、その数日前に彼女ができたということを知って、もの凄く驚いてたんだよ。そんな大事なこと私に言わなかったなんてずるいよ。知らされていなかったので(そっちにも事情があるんだろうけど)隠されていたのか、と、少しショックだったよ。私は人に隠し事をされると、なんだかのけ者にされているような、友達と思われていないような気がしてとても悲しくなるので、あの時も悲しかったよ。今さら言うのもなんだけど。で、話を戻すけど、学校はどうしているの? そんな大変な相談だとは思いもしなかったの。ごめんね、話聞いてあげられなくて。まあ、私なんかで役に立つかどうかわからないけど、せっかくそんな大事な相談をしてくれようとしてたのに、本当に申し訳ない。現在は体調も良く、時間的に多少のゆとりもできたので、これから先、何かあって、もし私に何か話したいことがあれば、できる限りのことをしてあげたいと思ってる。
 ということで、ここまでは、前のハガキの返事のようなもの。ここからは私のお願いを書くことにします。
 実は六月に東京へ行くことにしました。六月十七日に行って、二十日の夕方松山に帰る予定で、もう帰りの飛行機は手配済みなの。で、ぜひあなたとお会いしたいなあ、と思いまして。今までにも何度か東京方面へ行くことは会ったのだけれど、期間が短くて、なかなか会う時間が作れなかったので、会えないのにわざわざそっちへ行くと伝える必要もないかな、と思って言わなかったの。今回も、他にいろいろ予定があって、そっちに行ってる間ならいつでも、という訳にもいかないの。わがままだというのは充分分かっているんだけど。で、私の予定(っていうか。そこしか空いてないんだけど)では、十七日は夜まで用事もないので、十七日の二時くらいから夕方まで会って欲しいな、と思ってるんだ。別に夜まででもいいけど。羽田空港に飛行機が着くのが13:45なので、あ、やっぱり14:30くらいから。十七日は木曜日なのでたしか授業があったかな? でも、きっと黒川なら授業より私をとってくれるだろうと期待しているよ。私ね、銀座に行ってみたいんだけど、みんな忙しくて誰も一緒に行ってくれないの(みんなといっても二人)。別に、誰も一緒に行ってくれないから仕方なくっていうんじゃないんだよ。信じてね。確か、前に銀座に飲みに行ったことがあるって言ってたような気がして…。だったら案内してほしいな、とか思ったりして。一人で行くのは怖いし。銀座行くのはやっぱり黒川がいいかな、という判断をしたの。すごく自分がわがままで勝手なことを言っているのは分かっているんだけど、久しぶりに会って話もしたいし、次はいつ会えるか分かんないし、きっと私の弟なら姉のお願いを聞いてくれるはず、と甘い期待をしてみたりして。どうしても無理というのなら、悲しいけれど、銀座はあきらめます。しくしく。黒川に次会えるのもいつのことやら…。まあ、一ヶ月ほど先のことなので、今からお願いしておけば、たとえ平日でも、都合をつけてくれるだろうと、プレッシャーをかけておくね。私、髪切ったんだよ。見てみたいでしょ? ね、会ってくれるよね? 六月十七日、都合がついたら早めに連絡下さい。詳しい待ち合わせ場所とか決めましょう。
 半ば脅迫めいた手紙になりつつありますが、東京で黒川と会ったことがないので、今回はまたとないチャンスなのね。だから、この機会を逃したくないな、と私は思うので、わがままと知りつつ、お願いしてる訳。もし私に会いたくないなら、悲しいけど、そうやって正直に言ってね。何度もハガキくれたのに返事を出さなくておこってるかもしれないけし。電話でもよいので返事を下さい。PHSの番号は変わっていません。
 最後に、毎回毎回変な文章の手紙になってしまってごめんね。書いてて自分でも変なのわかってるの。できれば今からもう一度文体をそろえて書き直したいくらいだけど、何度書いても直りそうにないので、変な文章だな、と思っても我慢して読んでね。意味や言いたいことくらいは伝わってると思うから。字も汚いね。ボールペンで書き続けると、力を入れすぎているせいか、手が異常に疲れるの。持ち方が悪いせいかな。とにかく、来月会えたらぜひ会ってほしい。十八日、十九日、二十日はどうしても無理なので、自分勝手なプランで非常に申し訳ないのだけど前向きに検討してやって下さい。ではまた。
   ※※※【作者により伏字】より
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by ecrits | 2005-10-30 05:40 | 創作一般

『Drama』(ⅴ)


「 黒川へ
 返事が遅くなってごめんなさい。最近多忙を極めていて、ゆっくり読書をしようと思って持つ居眠りを優先してしまうような生活を送っています。まあ、どちらかというと忙しいほうが性に合っているので悪くはないんだけど、ここ数日体調を崩してしまい、肩こりもひどくなってしまって…。頼まれるとなかなか断れなくて、ついOKしちゃうんだな。家から一歩も外に出ない日も体のためには必要だと今頃後悔してももう遅いね。すっかり勤労学生。授業も休まず行っているし。最近一日がものすごい速さで過ぎてゆくよ。
 さて早いものでもう六月。あと二週間足らずで待ちに待った(?)東京小旅行です。「なぜ行くのか?」というのは想像つくと思うのであえて私からは今は言わないことにします。というのも、「あんまりはしゃぐな」とくぎをさされているのでね。「行く二週間も三週間も前からいろいろ言われても実感わかないし」と冷たく諭されてしまったので、私も少し反省し、旅行の話題に触れないように注意を払っているの。でもどちらかというと、私は自分の頭の中で先のことを考えるタイプの人間なので、けっこう私にとって難しいことを要求されているようで精神的につらいかな。しかし、予定は早めにきちんと立てておかないといけないし、私と黒川との約束は、私たちだけのことだから、誰に何と言われても決めないと。お互い忙しいし、会える時間が限られているからね。
 本題に入ろう。六月十七日のことだけど、私は最初12:25発の飛行機で行こうと思っていたの。というのも、十七日の夕方まで誰も相手にしてくれる人もいなくて、でもさすがに一人で東京の街を歩くのも恐い(?)し…。そんなときに黒川が私につきあってくれると言ってくれたので、返事が来てからいろいろ考えました。本当に私のわがままを聞いてくれてありがとう。お言葉に甘えてもいいかな?
 まず私がなぜ銀座に行きたいかについて説明するね。手短に言うと、銀座に私の買いたいものを売っている専門店があるのでそこに行って買い物をしたいの。私の住む松山では手に入らないの。全然売ってない訳じゃないけど、種類が少なくて。最近は東京に行くたびにいろんな所で少しずつ買ってるの。けっこうハマっています。これが銀座に行きたい理由。あと、ついでに、プランタン銀座のエッグタルトがおいしいらしいので、ぜひ食べてみたいな。
 後、もう一ヶ所行きたい所があるの。お台場。一度行ってみたいと思っているんだけど、いつも東京に行っても、行くひまがなくてね。今回銀座に行くにあたり、お台場からめちゃ遠いというわけでもなさそうなので、平日だから人も休日よりは少ないだろうから、ぜひ連れて行って。
 とりあえず考えて思いついたのはこの二ヶ所。朝から晩まで遊べるのならもっといろんな所に行けると思うけど、時間が限られているし、体力的にもキツイし、今まで東京も何度か行っているし、また次に行けるし、今回はこのくらいで。で、お台場と銀座に行くにも、12:25の飛行機では少し時間が足らないと思うので、もっと早い飛行機に乗ることにします。とはいえ東京行きの飛行機の便数が減ってしまって。今考えているのは、9:00発10:20着のJALか、9:40発11:00着のANAのどちらに乗るか、ということです。私はどちらでも構わないのだけど、黒川と待ち合わせする場所をどこにするか、ということを考えていた時に、「そういえば、黒川の家から銀座までどのくらいかかるのかな?」という疑問が生じたの。あまり早い時間に待ち合わせをすると、黒川も早く家を出なくちゃいけないから大変だよね。ごめんね遠くまで。私、関東に住んでる人って、どこでも電車でいけるからいいな、と思ってたけど、けっこう長い距離だし、何回も乗り換えしなくちゃいけないから楽じゃないの忘れてた。私はどっちの飛行機に乗るにしても、空港にいくバスは同じなので困りません。私としては、本音をいえば、9:00発のJALに乗りたいな、と思っています。そのほうが遊べる時間も長くなるし、松山空港で一人で時間を潰そうと思っても何もないし。もし9:00発に乗れば、羽田に着いてからモノレールで浜松町に行くと、着く時間はだいたい11:10くらいかな。私は東京をよく知らないので、黒川とどこで待ち合わせればいいのか見当もつかないのでそっちで決めてね。もし私が9:00発の飛行機に乗った時間で待ち合わせが早すぎると思うのなら私も9:40発の飛行機にしようと思っています。でも黒川も私と長い時間遊べるほうがよくない(笑)? いろいろ話とかしてたら、あっという間に一日が終わりそう。それにどうせ四十分くらいしか変わんないし。頑張って早起きしてくれるといいな
 最後に、今回私が松山から東京へ行くにあたって、何か黒川にお土産でも持っていこうかな、と考えています。松山にあるもので何かあれば持っていくので言ってね。重くて大きい物や、高いものはちょっと無理だけど。えんりょなく言ってね。
 手紙を書いているとなんだかワクワクしてきたよ。旅行に行くのを決めたのは一ヶ月も前で、そのときはあんまり実感わかなかったんだ。黒川に会えると思っていなかったし。本当に楽しみ。四回生になったら忙しくてこんな時期に出かけたりできないので、今年の間にあと何回かはどこかへ行きたいな。ああ、あとは雨にあわなきゃ今回の旅は何も言うことないんだけど。梅雨だし、私雨女だからな。
 ―私に会うときにはカサをお忘れなく。―
 よいお返事を待っています。遅くても十五日までによろしく。
   姉より
   P.S TM NETWORK復活(?)に祝杯をあげよう!

「 お疲れ。代返サンクス。
 江藤淳が自殺したらしいよ。知ってた?
 昼に五号棟の下の学食で会おう!

「 上高地は素晴らしかったです。個人的な旅行の中でも最高の旅でした。共同討議も三号の巻頭を飾るすばらしい内容になったとおもってます。
 来年も是非。今度は湯布院とか。

「 今年初めて手賀沼ジャズフェスティバル行きましたけど、良かったです! 特に今年は例年になくグレードが高かったようですね。周囲の田舎のお祭りみたいな野暮ったさがかなりキテますね。ギャップを楽しんでました。
 十三日に堀君のピアノ聞きにナーディス行きますんで会えたら会いましょう。
 もっともっと色々聞かせてください。サークルのことも黒川君のことも。

「 拝啓
 約一年ぶりになりますね。あなたと会わなかった間もエクリの読者としてずっとご活躍は存じておりました。理想を語り合うだけで現実を変えるための何の方法も持たなかったあの頃がずいぶん昔に感じられます。変わりました。あなたも、わたしも。
 あなたの歴史修正主義を検討する会は内外から非常に評判が悪いそうですね。わたしもあなたを非難するものの一人として、彼らの意見に同意するところが多い。端的にけしからんと感じます。あなたは瑣末な党派性の議論を否定するそぶりを見せながら結局のところ新左翼が喜びそうな弁舌を弄している。あのような発言は似非というものだ。
 どうしてそのようになってしまったのでしょう。エクリもいまやあなたに阿諛追従するだけの集団になってしまった。切迫した現状を変えるのは現在の君達のような軟弱な日和見主義者ではない。もっと今日に即した運動だ。言論も運動じゃないか、と君が言ったのをわたしはずっとおぼえていますが、それならばあのようなもはや言論ともいえないようなものを集団でアジるのが運動ですか? 馬鹿も休み休みにしなさい。
 残念です。少なくとも一年前のあなたは本気で現実を変えようとしていたはずなのに。エクリという国の裸の王様になってしまったあなたが残念でなりません。アウシュビッツにでも沖縄にでも行けばいい。それでまた話をしましょう。   敬具

「 最近学校に来ていないようだけど大丈夫?
 浦和の方に冊子が送られて来たらしいけど、私あまり帰っていないのでまだ目を通していません。ごめんなさい。暇でも出来たらまた飲み語りませう。   イネコ


「 A HAPPY NEW YEAR 2000
今年の私の夢は三つ。今度、お話いたします。よくばりかな、三つも。
 今年も私のバカぶりに飽きないで、どうぞよろしくお願いします。
「 あけましておめでとうございます 二〇〇〇年元旦
 いよいよ今年は四年生になるね。林先生のゼミに入ってるのかな。よろしく伝えてください。
「 昨年はお世話になりました。今年はご迷惑をお掛けするのが減るよう精進いたしますので、また一年、よろしくお願いいたします。
「 あけましておめでとうございます。
 こんにちは。いつもお世話になっておりますです、ハイ。関東の冬のあっけなさには、驚いておるです。去年は、僕の中でものすごい変化の一年でした。だから全然余裕がなく、ちと辛い一年でしたが、よーやくこの頃落ち着いてきたので、どれ、今年は落ち着いて彼女でも作ろうかな。って、あんまし落ち着いてもいられない! 二十世紀が終わっちまう前になんとかさがさなきゃ! 焦っとります。さて、今年もがんばっていきますか。一年を喜びの花で埋め尽くせるよう、生きぬきませう!
 今年もよろしくおねがいします。
「 あけましておめでとうございます 二〇〇〇年元旦
 お元気ですか。ゆっくり話ができれば嬉しいです。追コン声かけてみて下さい。(先日はエクリのシンポジウム手伝えなくてすいませんでした。)
「 A HAPPY NEW YEAR!!
May your new year be filled with peace and happiness of the season
「 健康に
「 謹賀新年
 平素のご無沙汰をお詫び申し上げるとともに尚一層のご交誼をお願い致します
 お元気? 電話番号変わったので教えときます
「 明けましておめでとうございます。一九九九年の一月にブラジルへ旅立ち、「えっマジで帰ってこないかと思った」といわれ、気がつくとその半年後の九月にはルーマニアへ。どうしてみんながあんまり行かないところばっかり行くのでしょうか? さあ、それは私にも分かりません。でも、今は日本で働いてます。なので、私が日本にいないと思って誘いの電話さえもくれないっていうのはやめましょうね。
 で、こんなんつくってみました。
 ブラジル→ルーマニア→アルジェリア→浅草→サンバカーニバル(ブラジルの田舎、サルバドールに限る)→ルーマニア→アルジェリア→浅草→サンバカーニバル(ブラジルの田舎、サルバドールに限る)→ルーマニア→アルジェンティン? ………相変わらず冴えない頭でごめんなさい。
 そんなこんなで、どうぞ今年もよろしゅう。
 年賀状ありがとう。君のECRITSの夢がだんだん現実のものになっていくのをカウンター越しに見ていたいと思います。近々呑みましょう。
「 平成十二年 辰
 新年をことほぎまつる
 アスベストもエクリも“現在的”であれ!
 僕たちはいついかなるときもバローのようにスタティックな姿勢があることを忘れてはいけない。
「 謹賀新年
 旧年中はたいへんお世話になりました。
 本年もよろしくお願い申し上げます。
 新しい年を迎えて、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。 平成十二年元旦
 「われわれはどこへ行くのか」という言葉は、ベルクソンの『精神のエネルギー』(レグハス文庫 八百円)の中の「意識と生命」という講演にでてくる有名な言葉です。機会があれば、一読を薦めます。
「 明けましておめでとうございます。お久しぶりです。お元気ですか? 結局、中央大に編入することになりました。あと電話番号変わりました。また飲みにいきましょう。
 二〇〇〇年、今年もどうぞよろしくお願いします。
「 あけましておめでとうございます
 おそくなって、スマン。やっとこっちに戻りました。久しぶりに全然会ってない奴とも会って(黒も含め)、なんか、めちゃ良かったなあー! 黒はなんか大学生っていうオーラがでてて、成長したなあって思う。俺も早く社会人として成長せんとなあ。ま、機会があればそっちにいったときは面倒みてや。
「 賀状たしかに頂きました。元気で頑張っているとのことおじいちゃんおばあちゃんにとっては最高のプレゼントです。勉強は今でなければ出来ません。一生が勉強ですが、人生の今が大切な寛之君の成長期です。逃さないで自分のために挑戦をつづけて下さい。きっと明るい未来が見えて来ます。
「 新春 平成十二年一月一日
 よいお正月をお迎えのこととおよろこび申し上げます。(今年も)よろしくお願いいたします
「 恭賀新年
 旧年中はたいへんお世話になりました。今年は就職活動の年で少し不安ですが、かわらずおつきあいくださいませ。
「 いっさいのこと改まりミレニアム二千年の日庭にとどき来 平成十二年元旦
 年頭に当たって皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
 歌はあまり理知的になると面白くない。しかし誰でもいろいろのところを通過するから、のびのびと作って下さい。期待しています。
「 二千年の新年、あけましておめでとうございます。気が付けば三回生。一年早いものです。今年はゼミの年なので、又、友達が何人かはできれば、と思います。
 思想工房エクリはだいぶ大暴れ(?)しているようですね。悪い噂も聞きますが大丈夫なんですか?
「 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 見事な年賀状、ありがとうございます。未熟者ですが、よろしくお願いします。
「 賀正
 年頭にあたり皆様のご健康とご繁栄をお祈り申し上げます
 元旦 元気で頑張っていることと思います。体にはくれぐれも気をつけてください。
「 A Happy New Year
 昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 僕は今年いよいよ教員採用試験です。結果がどう出るか分からないけどとにかく頑張ります。黒川君も体に気を付けて頑張ってください。
「 ずっと連絡をしなくてごめんなさい。“便りのないのがよい便り”だと思ってください。これからもっと忙しくなるので、ろくに連絡もしないかも…しれないけど、お互い毎日を精一杯生きていきましょう。
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by ecrits | 2005-10-30 05:39 | 創作一般

『Drama』(ⅵ)

「 年賀状ありがとう。今年は不幸があったので書けないのでこんな葉書でごめんなさい。なんか近い距離にいるのに連絡をとれていなかったのは不思議だね。今年は私は就職できる方向ですが、院に行くのですか? 自分のやりたい事をするのは難しい時もあるけど、お互いにそれぞれの方向でがんばっていきましょう。恋愛に対してもね。とりあえず今も遠距離している。また近くで会える時があれば会えるといいね。恋愛について…etc語れると嬉しいかもしれません。
 それでは、寒いので体に気を付けて
   p.s 野中さんは元気ですか?

「 お見舞い状
 襲撃された由、驚きました。警察にきちんと届出し、単純に暴行事件として解決されることを望みます。事態を聞き、取り急ぎ。

「 寛之君、松山も氷点下といふ寒さで、ばあちゃん等表に出ることもなく、一日家で暮らしています。今、俳句の最中。もう少し数学や科学で頭を練っておけば簡単なのにと後悔しきりです。ソロバン等実社会には必要ないですが頭の回転には最高らしいです。勉強して良識の基礎を造って下さい。一生の間にはいろんな選択が必要ですから。元気でね。
 「無音てふ 音をたしかむ 凍月夜」 またね

「 斉藤君から事件のことを聞き、びっくりしました。誰にやられたんですか? しばらくは事務所に顔を出さないほうがいいと思います。僕らで対応しますから。何かあれば上野のほうに連絡ください。

「 お体大丈夫ですか?
 もうご存知のことかと思いますが、先日副代表の安倍と安氏が同様に襲撃されました。安倍にいたっては肋骨骨折の為入院させております。このままでは団体の士気と実質的な活動に影響が出ることは必至と思われます。諮問委員を招集し、至急、会談の場をもたれますように。二月の舞台に関してはとりあえず保留にしておきます。
 金策必要であればお話下さい。

「 一月十九日付けのレポート、本日落掌しました。
 何でも入院されていたとのこと。体調がすぐれない時は、事前に指導教員か担任に申し出られるよう、お勧めします。
 取り急ぎ、ご心配でしょうから受け取りの確認まで。お大事に。

「 お元気でお過ごしですか。
 皆さんと一緒に短歌会を始めたいと思って、そのまま日が過ぎていますが、千葉大学関係の杉見さん、藤本さんたちがお世話下さることになっておりますので、近く案内が出来るものと思います。
 皆さんもいろいろ忙しいことと存じますが、短歌を作る心を忘れずに少しずつ作り続けてください。
 さて、実は同封の資料の通り、千葉県歌人クラブ主催の「千葉県短歌大会」が毎年開催されて居りますが、ぜひ学生の皆さんも参加してほしいということであります。私が副会長を務めている都合もあり、千葉県に関係する、千葉大学及び二松学舎大学の皆さんにぜひ参加してやっていただきたいと存じます。
 作品は三首ですが、入門歌会に出した作品でも、他に発表していなければ差し支えありません。参加費用は無料です。直接事務局に送って下さい。
 七月十二、十三日までに到着すれば私宛でも構いません。一括して事務局に送っておきます。
 各位

「 前略
 お誕生日おめでとう。
 少しですが何かの足しにして下さい。
 おばあちゃんも病状がすすみ心配ですが、おじいちゃんを残して死ぬわけにはいかないので頑張っています。
 寛之君も頑張って下さい。
 では又
   寛之君  ばあちゃんより
   三月十三日

「 黒川さん
 昨今非常に寡作の様子ですが、いかがされていますか?
 短歌会の十首は秋葉先生から受け取りました。
 元気を出してください。
 誰よりもやりきれなさを吐く君よこんぺいとうはいかがでせうか
   献歌 四月九日 ※※※【作者により伏字】

「 黒川へ
 お久し振りです。元気でやってますか? この間会ってから気がついたら一ヶ月以上もたっているね。最近毎日があっという間に過ぎていくよ。
 さて、この間就職活動のことなどいろいろ話をしたけれど、東京の会社からやはり内定をもらうことができました。あれは五月の連休明けてすぐだったと思う。それからもいくつか会社をまわったり、内定をもらったりといろいろあったけど、親とも話をして、例の東京の会社に就職することに決めました。私もとうとう親元を離れて一人暮らしをすることになったの。とはいえ住む所を探すのはとても大変で、どうしようかなあ、と思ったんだけれど、会社の方が安全な所にマンションを借りてくれることになったのでひと安心。住宅借上制度というやつね。だから自己負担も少なく済むし、部屋探しもしなくていいから本当にラッキーだったね。両親とも最初は生活が大変だろうと反対したけれど、会社がちゃんと対応してくれるのなら、としぶしぶ納得したみたい。思ったよりも早く就職活動を終えることができたよ。受かるまで知らなかったけど、かなりいい会社に就職できたみたい。本当に嬉しい。しかし会社ばかりをあてにしてはいけないし、どんなに会社がいい所だったとしても、大切なのは本人のやる気と頑張りだと思うから、浮かれずに頑張るね。やっぱり住み慣れない土地での生活は想像以上に大変だろうし、仕事も最初は分かんないことばかりだし、知り合いも少ないし、そういうことを考え始めると「大丈夫かなあ」と不安になる。しかし、いろんな人に「やってみないとわからないよ」と言われたし、皆就職が決まったことを喜んでくれているし、なんとかやれるでしょう。
 就職活動もとりあえず終了し、これからは本格的に卒論に取り組まなければならなくなってしまいました。ちゃんと書けるか本当に不安。私、レポートとか論文とか大嫌いで、今までなるべく書かなくていいような授業ばっかりとってたの。しかも英語で書くので、英語の勉強もしなきゃいけないし。会社は会社で七月くらいから早速、少しずつ研修をするらしいので、夏休みを過ぎる頃からはきっと大忙しになることまちがいないでしょう。もう大学生は十分たのしんだので、今の気分としては、一日も早く卒論を仕上げて早く社会人になりたいなーって感じ。こんなことを考えてる私はやはり考えが甘いのかしら…。
 就職活動中は黒川に話を聞いてもらえて、とても参考になりました。なんかね、他の人とは違った答えが返ってくるからおもしろい。自分というのがどういう人間か自己分析してみたり、やりたいことを探したりと、自分を見つめる機会ができて、就職活動も悪くないなあ、と今は思える。答えは出なかったけどね。出ないことが分かったからいいんだ。黒川の言う通り、自己分析しても自分がどんな人かなんて絶対わかんないね。人はいくらでも自分を作ることができるから。
 これからも私が人生に行きづまった(?)時には、ぜひ御意見を聞かせてね。あと、先の話になるけれど、上京したらたまには遊んで下さいませ。
 また松山に帰ってくることがあれば、連絡してね。
 口語と書き言葉と混じった手紙でごめん。
   ※※※【作者により伏字】より

「 前略
 わざわざどうも。大変ですね(ルーシー・ブラックマンさんとか)。
 原稿の件について。悪いけど無理です。理由・レポートが山積しているのと、あと、書くことがないので。
 老婆心ながら、気になったコトを少し書きます。先の座談会で「死の欲動」や「分―有」に関係して、どうも主体の分裂を、超越論的自己と経験的自己の二重性と解釈している節があるようでしたが、それはマズイです。というのも、それだと現象学や構造主義と、ポスト構造主義(以下、便宜を計って「否定神学」と呼ぶことにします)との差を抹消することになってしまうからです。脱構築を代表する否定神学が主張しているのは、主体のそのような二重性の峻別が維持されない―言い換えれば、「裂け目」が生じるのではなく、その逆に、「裂け目」が架橋される―ということです。meta-obの区別は、平たく言えばシニフィアン/シニフィエの言語内翻訳の可能な、意識―世界の領野(内容)と、超越論的シニフィエの領野(形式)という二分法に対応しています。そして前期デリダをはじめとする、ハイデガー/ラカン/ジジェク/『言語・数・貨幣』までの柄谷…etcらの議論は、まさにこの二分法に対する抵抗を組織している点で、共通しているのです。つまり彼らが指摘しているのは、超越論的シニフィエの領野―形式が、シニフィアン/シニフィエの言語内翻訳の領野―内容に繰り込まれる(畳み込まれる)という短絡、それがmeta-obの二元的構造において不可避に生じることに他なりません。その効果としてobの領域において生じるもの/もしくはその短絡回路(Ruf)の循環を駆動させるもの、としてあるのが“不可能なもの”=超越論的シニフィアン(ex「死の欲動」)であり、これと超越論的シニフィエ(ex「快感原則」)とは別物です(これは考えようによっては当たり前のことで、というのも、そもそも超越論的シニフィアンは、超越論的シニフィエの領野をobに短絡させるもの、もしくはその短絡〔形式と内容の交錯〕の対応物として定義づけられているのですから)。この指摘を軸にして彼らの理論は構成されていて、それは「死の欲動」に関するフロイトの議論にしてもまったく同じです。したがってmeta-obの二重性を自己の分裂と捉えた場合、「死の欲動」を「快感原則」と同一視するという、かなりマズイ錯誤を犯していることになります。
 この差異(二重性と分裂)を見ないことには、ポスト構造主義理論の意味/意義が掴めないはずです(そもそも、上述したmeta-obの短絡のことを「動的構造〔=ポスト構造主義の代名詞といってもいいのです〕」と呼んでいるのですから)。
 ちなみに僕の載せられた二つの文章では、どうもこの二つの議論は混同されているようです(もっとも二年近くも前のものなので、知ったこっちゃありません)。
 それでは、勝手ではありますが次号は僕抜きで頑張って下さい。

「 黒川さんへ
 お久しぶりです。お元気ですか? あみです。連絡遅くなってすいません。三月の初めに前住んでた板橋の学生会館を出て府中の方に引っこしました。
 New addです。
 ところで春休みは愛媛に帰りましたか? 私も帰りたかったのですが今年の春休みは忙しくって帰れそうになく残念です。
 四月からは新しい大学での生活が始まりマス。とても不安な私であります。
 でも勉強する意欲は満々であります!
 それではではまた飲みに行きましょう。
 Take care of yourself & Stay happy!
   FROMあみ
   p.s 手紙の書き方下手くそで申しわけないです。

「 生前の故人への熱い御交誼を深く感謝申し上げると共にご家族様の御健康を心より御祈り申し上げます
 平成十二年 五月
 遠い所来ていただいてありがとうございます。これからの活躍をお祈りしております。

「 鶯谷の一件は残念でした。
 黒川さんが責任を感じることではありません。
 思想工房ECRITSの今後のご活躍をお祈り申し上げます。心より。
   井上

「 辞任するお心持の由、安倍君から聞きました。
 率直に申し上げて、私もそのほうが良いかと思います。今は思想工房ECRITSにとって非常に大事な時期ですし、黒川さんは何もなかった荒野を切り開いてここまで学生達のために尽くしてこられた。そのことは、皆が十分承知しております。あとは安心して後任にお任せいただけたらと思います。
 事件に黒川さんがそこまで深くコミットしているとは思えませんが、それが責任の取り方だとおっしゃるのには、それだけの覚悟がおありだと思います。いつか、本当のことを皆で話せる日が来ることを心待ちにしております。
 今後とも様々な形でお世話になることとは思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。   事件より49日の日に

「 あけましておめでとうございます
 今年はもっともっと話をしたいです。小さなことでも何でも。たくさん話をしましょ。今年もよろしくお願いします。 公美
「 初春のおよろこびを申し上げます 平成十三年元旦
 月日がたつのははやいもので、黒や他のみんなと集まって、飲み会をしたのが、一年も前になります。あれから、自分は、松山(実家)に帰りました。今回、黒と会えているかわかりませんが、やはり、年に一度くらいはみんなで酒でも飲みたいものです。昨年は自分の中で心の変化が現れ、少しは成長できました。今年はさらに成長していきたいと思います。黒も頑張って! ではでは。
「 謹賀新年
 お健やかに新春をお迎えのことと存じます。本年も幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます 平成十三年 元旦
 寛之君にも迷惑掛け申訳ありません。みんなで笑って会える日を待っています。お元気で頑張って下さい。
「 あけましておめでとうございます。
 昨年中は大変お世話になりました。
 今年も迷惑かけたりするかもしれませんが、よろしくおねがい致します。
 黒川さんにとって良い年でありますように!   2001.1.1

「 説明会日程・送付書類説明書
 リーダースキャンプで「四月二日に説明会を開いたのでは遅い」というご指摘がありましたので、三月中に参加団体から意見を聞く場を設けたいと思います。そこで意見を聞いたり、具体的な説明をしたりしたいと思っています。春休み中で忙しいこととは思いますが、宜しくお願いいたします。
 説明会は下記の日程で行いたいと思います。二日のうちで都合のよい日に参加してください。
 出席できない場合は、下記アドレスまで連絡してください。

「 お久しぶりです。近藤です。引越し等のごたごたで返事が遅くなってすみません。
 まず、近況報告から。
 大学卒業にともない、住居の方は実家にもどりました。知っているとは思うけど,確認のために書いておきます。
 なお、Eメールの方は、九月ころまではこれまで通り使える予定だし、携帯電話の方も変わらず使えます。
 それから、仕事の方ですが、正式採用は受けられなかったものの、常勤講師として松山西高校にお世話になることになりました。教員採用試験との両立は確かに大変ですが、いい経験になると信じています。
 近況報告はこれぐらいにして、せっかく黒川が自分の考えを正直に書いてくれたので、こちらも自分の思っている所を述べる形で答えたいと思う。誤解しないでほしいのは、これはあくまで個人的な意見であってその是非は僕自身も断言できないということだ。
 まず松山という土地についてですが確かに保守の色が強いということは否定できない。しかし、そのようなことに関係なく僕は松山が好きです。大学を県外にしたのは、松山が嫌だったためではなく、自分の視野を広げるために外の世界を知りたかったためです。そして、外から松山を見つめてあらためて自分が松山の雰囲気が好きだと感じた。何がいいのかということを分析することはできない。しかし、できないからこそ本当に好きだと言えるのではないだろうか。黒川の政治的見解から比べるとお門違いの感覚かもしれないが、僕が松山について考えていることはこの程度なので許してほしい。
 次に具体的な政治の諸問題についてですが、これについては僕も含め、不満を抱える人は多いと思う。結局、派閥や団体によって政治が動かされ、国民の声が届かないという現実はある。しかし、だからといって選挙に投票しなかったり、無関心であることは許されないと思う。国民一人一人の力が国を変える。確かに理想論であり、そう簡単な話ではないだろう。しかし、希望や理想を追い求めなくなったとき、それこそが国民の最後であり、個人の最後だろう。
 何だか、ひどく一方的でえらそうな文章になってしまって、すまない。僕は、自分の未熟さは十分知っているつもりです。でも、今の自分のできることを精一杯する。これは、僕がずっと持ち続けてきたモットーである。だから、僕は黒川のように現状を否定するのではなく、自分なりに可能性を信じてこれからも頑張っていきたい。
 長い人生、お互いまだまだ様々なことがあると思います。しかし、歩む人生は違えどもいつまでも親友であれると信じている。
 これからも健康に気をつけ、黒川が活躍してくれることを僕は切に願っている。
 それでは。
   平成十三年四月十五日

                                 【完】
   2005/07/02 初稿
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by ecrits | 2005-10-30 05:28 | 創作一般

私の『夢十夜』 ~第三夜~

 こんな夢を見た。

 午後の穏やかな陽の只中に、私は誰かと話をしている。腰掛けたロッキーチェアの材質はメープルらしい。硬質な質感だが、私の猫背に沿うように緩やかに湾曲した背もたれが、落ち着いた会話をするのに丁度良い緊張感を感じる。目の前に、足を組んで、私の斜向かいに腰掛けている人物がいる。私は彼を知らない。しかしながら、会話は面白いように次から次へと流れてゆく。彼は外見から察するに、30代の欧米人だ。会話を切り出すときに、顎の無精髭を指でさする癖がある。私は、彼が誰だったか知っているような気がした。また、知らないまま話を続けるのが甚だ失礼な気もした。ただ、20歳の時にはじめて神経症を患って以来、私は自分の記憶が信用ならないものであることを知っていたから、無理に思い出そうともせず、彼とこの心地良い時間をいつまでも過ごそうと心に決めた。
 よく見ると、周囲は庭である。彼の後ろには、小径が続いている。
 いや、ここは屋外ではない。図書館だ。何度か来たことがある図書館の二階のテラスだ。ただ、わたしはこの図書館に二階があることも、ましてや、こんなに広大なテラスがあることも今、知った。と、すれば、かれの背の小径はどこに続いているのだろう。また、私の後ろにも同じように路は続いているのだろうか…。ただ、彼と話をしながら後ろを振り返ることが私にはとても恐ろしいことに思えたので、私はその欲望を思い留めた。
 私は彼に夏目漱石の講釈をたれていた。近代批判者としての漱石は理論家であることを望んだ。しかし、彼は小説しか書かなかった。それは、敗北の姿だ。漱石は「国民作家」であろうとしたのではない。その種の「国民」は、事後的に(太平洋戦争後に)捏造された、“近代にいやおうなく飲み込まれた悲劇的な国民の姿”だ。むしろ、その「国民」性を否定する思想こそ、漱石が意志していたものだった…。彼は私の話を興味深そうに聞いていた。やがて、言語(日本語)の硬直性に話が及んだ。私は沖縄の方言を例にとり、様々なコードが入り乱れ、卑俗入り乱れた「話し言葉」の豊穣さを褒めた。すると、「つまりは、“言葉をもって音を断ち切れ”だね」と、彼はポツリとこぼした。私は何もかも了解してしまった。彼はグレン・グールドという名前のカナダ人のピアニストだった。私は、自分の敬愛するピアニストの顔を覚えていなかったことを恥ずかしく思った。

 陽は、もう落ちかけていた。彼は私がそんなことを思ったのと同時に席を立った。じゃあ、失礼! 彼はこう言ったきり、夕霧の立ち込める小径に姿を隠してしまった。私は、「お隠れになる」という言葉の意味を体感したような気がした。

 テラスから館内に戻ると、図書館は思った以上に薄暗かった。私は二階のスロープを滑り降りるように駆け抜け、フロントのロビーへ向かった。「貸し出し インフォメーション」とパネルが貼ってある席には誰もいなかった。ただ、パイプ椅子が一脚、異様なほどに青白く光っている。私はそれに不吉なものを感じた。一刻も早くこの場所を去らなければならない…しかし、図書館の自動ドアの前の床には、おびただしい数の私の顔写真がバラ撒かれていた。わたしは躊躇することなくそれらを踏みしめて行った。誰彼の区別なく私を踏みつけて行けば良い。そう、ぼんやり…思った。

 どこをどう歩いたのか。見覚えのある図書館だと思ったのは、ここが柏だったかららしい。あれは、大学の図書館だった。私は、救われた心持がして、とりあえずは、よく知ったサンサン通りまで歩いた。駅前には老舗喫茶店の「ANNA BELL´S」がある。私は漠然と、ああ、あの頃にいるんだな…と思った。風は思ったよりも肌寒く、身を切るような勢いがある。
 「Nardis」は昔のように細い階段を上った二階にあった。移転する前だな、と思った。
 小峰さんは酔っている。ライブがあるらしいが、だれが演奏するのか分からない。セッティングは着実に進められている。わたしはカウンターに座った。最後にこの場所にあった店で飲んだ7年前を思い返していた。私は久しぶりに会った小峰さんに、この7年間のことを話したいと思った。しかし、過去の人間に未来のことを話すのは、どうも馬鹿げているような気がして、やめてしまった。
 トイレに立って帰ってくると、もう店内は満席だった。知っている顔がそこかしこに見える。私は末席に腰掛けてライブが始まるのをじっと待っていた。すると、入り口のドアが開いて、私の知った友人が入ってきた。彼女は唯一空いていた私の隣席に座り、待った?と聞いた。言われてみれば待ち合わせをしたような気もしたから、さほど待ってない、と怪訝に返事をした。松山以外で会ったことのない彼女がこの場所に来ることは、私を不安な気持ちにさせた。同時に、何か申し訳ないような気もした。
 彼女は当時7歳の私に「ジーンズが似合わない」と言ったことで、以来10年以上私にジーンズをはけなくさせていた。幼い私の心を傷つけた、と会うたびに笑い話にする私に、彼女は本当にすまなそうな顔をする。私は、彼女を大事にしなければならない…と思った。
 カウンターの向こう側に目をやると、私と反対側の末席に当時の私が座っていた。そうして、私の見たことのない、胸の豊かな女性を口説いている。私はいたたまれない気がした。さらに、友人がいるのにバツが悪いような気がした。

 私は、餓鬼だった自分の酔いに任せた必死の格好にいてもたってもいられなくなり、席を立った。そして、当時私が住んでいた学生寮に“一足先に”帰ることにした。月が綺麗に出ていた。私の部屋には誰が貼ったのか、蚊帳が吊るしてあった。私は布団を引き、引っ越したときに捨ててしまった本の何冊かを読むことにした。眠くなるまで枕もとの本を読み、そうして、いつか、眠りについてしまった…。
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by ecrits | 2005-10-07 06:14 | 創作一般

2005年10月4日、火曜日のランデ・ヴー

 マルセル・デュシャンの1916年に制作された作品に、「1916年2月6日、日曜日のランデ・ヴー」と題されたレディ・メイドがある。中央を張り合わせた四枚の葉書にタイプライターで文章が打たれている。文章とはいうものの、何か定まった内容を叙述するのではなく、可能な限り叙述しないように書かれている。

 Sur trente miserables postes deux actuels veulent errer,rembourses civiquement,refusent toute compensation hors leur sphere. 〈一部〉

 このように、内容は支離滅裂だが、でたらめに単語を羅列しているのではなく、主語・述語・関係代名詞など、文法的には正確な構成を成し、だが、可能な限り何かを表現しないように綴られている。デュシャンのメモには、レディ・メイドのオブジェは「ランデ・ヴー」のようなものだと書かれている。彼の意識にはレディ・メイドを文字(ecrits)、つまり「記号=絵」に代替する認識があり、このことは今日でも美術理論に重要な示唆を与えていると私は考える。この作品は、謂わば文章版レディ・メイドといったところだろうか。
 これにならって、私も批評の「ランデ・ヴー」を試みようと思っている。文字と文字とのランデ・ヴーを、そして、文字と読み手とのランデ・ヴーを。


 そもそも批評とはなんだろうか。
 他人の作品をあげつらって是非を論じる事か。新しい文学理論などの可能性を論じ、古典作品の読みを換えることか。芸術と哲学や精神分析を繋げるパイプのことか。しかし、それらはいずれも「批評」の射程を恐ろしく狭めている。率直に言おう。私は批評を政治だと思っている。政治性を度外視した批評など児戯に過ぎない。
 ハイデガーは当初、現象学的な方法で「存在」ということを考えようとした。しかし、彼はその限界に突き当たって、「詩」や「言語」の問題を考えざるを得なくなった。現象学的な「存在」に応答する事が結果的に文芸というジャンルに接続して考える事を強制したのだ。
 「批評」には読まれることを目的とする以外の形式など必要ない。必要なのは思考の密度であって、エセーか論文かといった区別ではない。その程度の事を理解していない人間に、どだい批評が可能であるとも思えない。

 「書く」ことは一種のパフォーマンスだ。「書く」ことによって生身の実践が表現される。
 勿論、「書く」ことも「運動」だ。私は「思想工房ECRITS」をつくった時から、「運動」ということを忘れた事がない。たとえ人から何と言われようとも、私は自分を運動家だと思っている。思想でも何でも、最終的には現実に試されなければ何の意味もない。

 誤ることを恐れているような連中は停滞しているも同じことだ。知識ばかり無駄に増えるから、思想や「様々な意匠」(小林秀雄)に身を包んで、理論に寄り掛かり、自分の体を消し去ってしまう。知的ファッショとは、まさにこのような状態のことで、こういう人間はお先真っ暗と言わねばならない。こういう独りよがりの人間が、ものを考えている人間のイメージとして一般に定着してしまっているから悪質である。

 フェティッシュに拘泥していては全体主義に対抗できない。
 重要なのは、このような危機意識を肌身に感じているかどうかだ。

 シニカルなポーズが得意なひとがいる。こういうのは実に単純な馬鹿だ。
 一生懸命やることは、道徳うんぬんの問題以前に現実に拮抗しているかどうかの証明になる。言論でも姿勢でも、斜に構えて悟りすましているようでは何の効果もない。現実に立ち向かう事が一生懸命な姿勢を自然に要請する。

 私の友人に情熱的な女性がいる。彼女は私のやっていることと何の関係もない。しかし、情熱を失わない人が身近にいたことで、わたしはずいぶん救われた。
 情熱とは危機感の言い換えだ。常に背中に火を付けていないようでは、弛緩してしまう。

 カミュは『シーシュポスの神話』でこのように述べている。
 「意識的反抗を廃棄することは、問題を回避することだ。永久革命の主題がこうして個人の経験内に移されることになる。生きるとは不条理を生かすことだ。」
 不条理を眼前に捧げ続けることは、理性の問題ではない。それはむしろ、倫理の問題だ。他者の他者性を感じている時と、生の不条理を感じている時でないと、人は倫理に向き合う事ができない。しかしそのことは、ひとはいつでも倫理に向き合っている、と言う事と実は同じ内容だ。

 正岡子規は批評家だった。
 彼の「写生」ほど批評的含意が濃いメッセージも他にない。実際に恋をしなくても恋の歌をつくる、目の前に竹を置かなくても竹のコードをイメージで描く。彼の批判したのは、そのような職人的芸術だ。“ものをありのままにかく”(例えばセザンヌ)ことは、スタイルへのクリティークに他ならない。
 批評とは従来の法則を吟味し、その拘束を解き放つ事だ。また、従来のことばに新しい意味を与える事だ。
 「ことば」への抵抗は、批評のスタイルを教唆している。
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by ecrits | 2005-10-04 02:07 | 創作一般

私の『夢十夜』 ~第二夜~

 こんな夢を見た。

 気が付いたら、また「雨濃野」(あみの)にいた。今日はいつもほど雨が降っていないらしい。そのかわり濃い霧がかかっていて、50メートル先の灯台の光も確かではない。時間は夕刻である。いつも必ず会う少女と、はじめて見る顔だが、15歳くらいの少年がいる。彼は私をよく知っているらしい。
 
 私は中学生くらいの時分から、月に一度は、この「雨濃野」に来ている。もちろん夢を見ている間だけだ。「雨濃野」はいつも変わらない。それは、どこにもない風景だから。
 「雨濃野」は周径10キロメートルにも満たない、小さな孤島だ。四国で例えるならば直島だろうか。人口はおそらく100人にも満たない。昔ながらの寂れた漁村の雰囲気を想像してもらえれば大過ないだろうと思う。
 私が「雨濃野」に来る時は、いつも必ず雨が降っている。あるいは、この島では年中降っているのかもしれない。とにかく私にとって、晴れている「雨濃野」を想像することは容易ではないのだ。そして、私がこの島に来る時は必ず決まった防波堤にいる。そこから島のどこかに出掛けていったり、あるいは、防波堤で少年たちと世間話をして終わったりもする。その間も雨はひっきりなしに降っている。不思議なことに、私は「雨濃野」にいるとき傘をさしたりしている記憶がない。雨に打たれたままになっている。それはこの島で会う人たちにも共通だ。だから、比較的雨が穏やかなときには、なんとなくラッキーな気持ちがしていたりもする。

 先にも言ったが、その日は「雨濃野」全体が濃霧に覆われていて、一ヶ月ぶりに見る景色は、水彩で極端にぼかしたような、非常に曖昧なものだった。秋が近い「雨濃野」はふるえがくるくらいに肌寒い。
 私は、今回は動くことにはならないな…と諦めつつ、彼女たちと映画俳優の話をしていた(余談になるが、私が少女にオダギリジョーの良さを延々と説教していたのは、なんとなく夢から覚めても理不尽な思いが消えない)。ふと、島の西側に広がる小高い山の中腹に目をやると、その周辺にポツポツと明かりが見える。あの明かりは何?という私の質問に、彼女は、「きょうは“おんだいさん”の日だから」と答えた。“おんだいさん”の正体を知らない私は、彼女に根掘り葉掘り説明を求めた。うっとうしがられながら得た説明を要約すると、あの山の中腹に“おんだいさん”を祭っている寺院があり、今日はその寺院に“おんだいさん”の御本尊が街から返されるのだという。あの明かりは、この霧の中を懐中電灯を照らしながら寺院まで御本尊を運ぶ人たちの列だという。その話をはじめて聞いた私は、“おんだいさん”がどのようなものかを見てみたい気持ちが強くなり、彼女に道案内を求めた。嫌がられると思ったが、彼女は案外あっさりと了承した。
 山道は想像以上に険しかった。そのほとんどが獣道で、うっかり足を滑らせれば、ゆうに5メートルは転びながら後退してしまう。御本尊を運んでいた人たちは、もう既に寺院まで運び終えたらしい。人影はなく、霧はだんだんと濃くなっていく。この足場の悪い中を、おそらくは非常に大きいものであろう御本尊をいったいどうやって運んだのか、私は不思議で仕様がなかった。樫と楢の木ばかり生えている山はどことなく人をはねつけるような、冷徹な雰囲気がした。
 小一時間ほどかかって、私たちはようやく寺院に到着した。しかし、それは寺院とは名ばかりの高く聳え立った楼閣だった。五重塔である。出羽三山の羽黒山五重塔に似ていると思った。
 中に入ると、照明がないせいで、様子が全く分からない。先に到着しているはずの人たちの姿も見えない。ただ、凛とした空気が堂内を支配している。私は目が慣れるまでもう少しこのままでいようと思った。途中まで一緒に付いてきていたはずの少女と少年は、もうどこかにいなくなっている。私はとたんに不安になった。
 20分にも30分にも感じた。私はじっと立って…ただただじっとしていた。そうしているうちに、急に暗闇に目が慣れてきた。建物の中央には、普賢菩薩の立像が起立していた。高さは2メートル以上あると思われる。その普賢菩薩を取り囲むように、皮を張った一人掛けのソファーが内を向いて丁度10脚並んでいる。私の目の前のひとつを除いて、もうその他の全てに知らない人が腰掛けている。そうして、じっと黙っている。私はその光景に恐怖を覚えるより先に、自分が彼らを待たせてしまったことが申し訳なく思えて、すぐさま席に着いた。果たして自分がこの席に腰掛けてもよかったのだろうか…席に着いて後、私はそう思った。
 席に着いて後も、誰も口を開かない。動こうともしない。ただ、何かを待っている。
 私は生来のよそ見癖で、辺りを観察していた。目が慣れてきて分かったが、正六角形の形をしたこの建築の内壁には、どこもかしこも伊藤若沖の麒麟の画がめまぐるしい躍動感を持って描かれている。私はこの作家のヴィヴィッドな天才をあらためて感じるとともに、このソファーはコルビジェみたいだな…と全く関係のないことを考えていたりした。

 そうしているうちに、私はこの沈黙に耐えられなくなってきて、少し離れて座っている左隣の初老の男性に、“おんだいさん”はどちらにいらっしゃるんでしょうね? と、尋ねてしまった。彼は見たことのないような憤怒の表情で私を睨み付けると、轟然とあごをしゃくって私の真向かいを指した。言われてみれば、普賢菩薩の陰になって分からなかったが、私の向かいのソファーは一つだけ空席のままだった。私は急に興が冷めたような気分になって(目には見えないけれど、あそこに“おんだいさん”がいる…といったような展開は私を最も退屈させるものだった)、あれですか? と半笑いの表情で男性に言った。
 彼は声を出して笑った。私はびっくりして、彼を見た。
 彼は超然とした姿勢のまま私をじっと見つめて、思いのほか大きい声でこう言った。
 「“おんだいさん”の席は用意されている。席があることは存在の有無じゃない。社会的に“おんだいさん”が<ある>ということなのだ。“おんだいさん”は今も現に発言している。」

 私は凍りつくような恐怖を覚えて、しばらくは何を考えることもできなかった。
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by ecrits | 2005-09-24 01:28 | 創作一般

私の『夢十夜』

 こんな夢を見た。

 時間は白昼である。私は既に物故した友人と松山の郊外を歩きながら話をしていた。
 話の内容は他愛のないものだった。既に鬼籍に入っている友人と散歩していることに私は別段恐怖を感じてはいない。ただ、数年前に物故した友人が私の最近の身の回りの詳細を知っていることが私には何故か不思議だった。「久しく会わないが、もう一度会ってみたい人はいるかい? 特に女性で」彼はこう言って、口元に笑みを浮かべた。私はすぐにYさんのことが頭に浮かんだが、その質問に答えるのは何か不吉な気がしたので、何とも答えなかった。
 やがて路は昔よく歩いた小学生時分の通学路になっていた。私は友人の右手に(彼は左利きだった)墓参りのときの水桶が握られているのに気が付いて、「これから墓参りに行くの?」と尋ねた。彼は不思議そうな顔をして、お前が言い出したんじゃないか、と答えた。そうだったような気もしたから、私は大きく頷いて、水桶の中の一杯に張られている水面を見た。夏でもないのに、水面は太陽の光に乱反射して、脂ぎったようなギラギラした色を浮かべていた。
 しばらく歩くと、右手に古い大きな団地が見えてきた。彼は私を先導するようにその団地の中へ入っていった。通りがかりに一階のポストの表札を見ると、そこには意味の分からない経の一節が梵字で細かに延々と綴られていた。
 団地の裏手は小さな家庭菜園と、あとは茫々とした墓地が広がっていた。墓地に墓石は一つもなく、2mを越す細長い四角錐の石柱が尖った方を地面に突き立てるようにして何十本も乱立していた。私は流石に不気味になり、友人の姿を探したが、もうそのときには彼はどこかへいなくなってしまっていた。私の手にはいつの間にか水桶と弔いの花が握られている。彼がいつまでも一緒にいてくれるわけではない…そう合点した私は、誰のものかも知らぬその石柱の一つに献花し、手を合わせた。そうしているうちに、突然自分が死者を弔いに来たのか、自分が既に死んでいるのかが判然としなくなってきたから、私はパニック的な恐怖を覚えて、誰彼かまわず人をつかまえて、本当に自分が生きているかどうかを尋ねてみたくなった。しかしながら、生きているのも死んでいるのも、今の自分にとってみれば同じことだ、という諦念の気持ちがどこかにない訳ではなかった。あらゆる享楽に麻痺している自分は、もはや何にも動かされることはない…。もう、疲れてしまった…。
 墓地を後にすると、もうそこは団地でもなんでもない。路でもない。ハイウェイのように中央線だけ引かれた、どこまでも続く未舗装の大地である。目の前には、日本の脱穀機に似た手回しの機械が点々と遥か彼方まで無数に置かれている。回転する車輪の部分から何本もの突起が真っ赤に突き出ている。そうしてそれが音もなく高速で回転している。私は発狂の恐怖を感じて目をつぶった。すると昔世話になった一人の女性の顔が唐突に頭に浮かんだ。その人が憎悪の表情で私を見つめていたので、私はいたたまれなくなって、自分が私欲のためにしてきたことを何もかも償ってしまいたい気分になった…

 目を覚ますと、時刻はまだ夜中の3時過ぎだった。私は疲れた頭を下世話な俗事で紛らわせるため、松山市中心部の「UNDER GROUND CAFE」にビールを飲みに家を出た。少し肌寒かった。
 石柱は以前私が砥部焼きの陶芸家の知人に製作するよう依頼したオブジェに酷似していた。脱穀機は、マルセル・デュシャンのチョコレート摩粉機のような気がするが、定かではない。
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by ecrits | 2005-09-15 07:28 | 創作一般