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井原秀和との対話 ~セクシュアリティの実践~

 8月28日深夜、仕事で松山に来ていた井原秀和氏と久しぶりに話をする。実に4年ぶりの再会である。以前、思想工房ECRITSの設立の折に世話になって、その後私の強い推薦で諮問委員になって頂いたが、その後の井原氏の多忙を極めるスケジュールと政治的な問題とがあいまって、結局、一緒に活動することはほとんど出来なかった。

 約束の時間に15分遅れで到着した私は、当日、松山大学城北キャンパスで行われていた日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う05´~生きる~』のキャンペーンの手伝いをしていたこともあって、例の黄色いTシャツにジーンズという格好であったが、そのような私の格好を見て「メディアに安易に擦り寄ろうとする黒川は不愉快だ」とのたまった井原氏は、自身のブランド“hide&skin”のチビTと称するにはあまりに窮屈な2分丈の青いプリントTシャツを胸部だけ鋏で切り抜いた、安っぽいアダルトビデオを思わせる上着に、荷物検査で説明するのに苦労したと言う発泡ビニールで作られた、雲をイメージした黒っぽいシースルーの奇妙なオブジェ(本来装飾のための展示品だったという)に強引に穴を開け、足を通しただけという奇抜なファッションで、私を待ち構えており、いったいどちらが周囲から不愉快に見えているのか疑う様相だった。
 ともかくも4年ぶりの親交をあたためながら、私たちは松山市中心部ロープウェイ街にあるカフェバー「ニライ・カナイ」で深夜まで談笑した。今も昔も「トランスセクシュアリティ」の実践者を自認する彼だったが、その道のりは決して平坦なものではなかった。性的には「ホモ」「変態」と世間から蔑視され、本業の服飾デザイナーとしてはキワモノの烙印を押され、業界から相手にされなかったという。「ツブシにかかりにさえしてもらえなかった」という告白にはあまりに切実な思いが込められている。以前から、「変態にさえなれないヤツを気にすることはない」と再三彼に助言を試みていた私だったが、今日の彼の活躍を見てみれば、その励ましも決して無駄ではなかった、というところだろうか。
 古酒の泡盛を、バッカスの化身とでも形容したいような勢いで平らげる井原氏は、どこで覚えてきたのか、バタイユばりの否定神学をべらんめえ調で語り続ける。区役所の戸籍謄本を発行する際、無意識に書類の「男・女」の欄の中点に印を付けてしまったというフロイト的錯誤を得意げに語る彼に私は突然噛み付いた。

 君は中性性などと得意がっているけれども、そんなものは存在しない。あったとしても、それは巧妙に偽装された似非男根主義なのだ。本当の意味での「トランスセクシュアリティ」を実践したいのなら、「性」自体を否定しなければ駄目だ。具体的には、ペニスを切断し、男性優位主義、女性優位主義ともに批判する場所に立たなければ。セックスがある「かのように」(森鴎外)ふるまい、発言し、パフォーマンスしなければ。安易な(性の)ニヒリズムが俺は一番嫌いなんだ。ニヒリズムは絶対性の否定みたいに思われているけど、それは違う。実は絶対性の要求なんだ。そのような反復は断固として抵抗しなければいけない。

 青じそ焼酎という普段飲みなれない酒に既に飲まれかけていた私は、こう彼をまくし立て、全否定するに至った。私の面罵を黙って聞いていた彼は、やがてぽつりと「なにはともあれボクは実践しているから」とこぼした。確かに、彼のパフォーマンスは日本の性差別を多少ならずも解消している。児童暴行などの問題点はあれど、変態性欲やフェティッシュ(奇妙なことに、この文脈でのフェティッシュというバタイユ的用法が日本で定着しつつある。フランス語の原意を重視するのならこのような性の広がりはむしろクイアーと呼ばれるべきだろう。)の視点も徐々に変わりつつある。実践者としての彼の働きに私は敬意を表している。少しハッとさせられた私は、彼に言い過ぎを素直に詫び、その後も看板を大きく越える午前7時過ぎまで共にしたたかに飲んだのだった。
 翌日(というよりも明けたその日だが)、10時(!)の飛行機で帰京した井原氏から、携帯電話にメールが届く。家で廃人のようになっていた私は、いまさらながらに彼の「実践者の神経の図太さ」に自分との隔たりを感じ、羨ましく思いさえするのだった。

 「チンチン切ってみようかなん はぁと」


井原秀和(円奴s)氏のHP→http://www.studio-k2.com/~maru/index2.html
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by ecrits | 2005-08-30 04:03 | 友人

槇原敬之をめぐって/2005.8.26 『邂逅』初出

   君は誰と幸せなあくびをしますか/槇原敬之

 後に、初期三部作と呼ばれるシリーズの第二段として製作されたこのCDアルバムには、彼の名を一躍有名にした『どんなときも』をはじめとする全11曲が収録されている。『どんなときも』は織田裕二、的場浩司、坂上忍、和久井映見ら当時の新鋭俳優をキャスティングし、フジテレビジョンによって製作された『就職戦線異状なし』(1991年6月22日公開)のタイアップ曲として、現在までにミリオンセールスを達成している。
 このことを特筆するのは、彼が「恋愛を歌うこと」がひとつのイデオロギーとなり得た時代に出発したことを確認するためである。高度成長期からバブル末期にあたる60年代後半~90年代にかけての共通意識として、青春の不安は大人になることの不安であり、失恋による自意識的な悔恨は、同情と共感を同世代で共有(!)することが可能だった。現代思想的に言い換えれば、「戦後」後からバブルまでの世相は、社会における「象徴界」(ラカン)の力を衰えさせる前段階であり、この時期において今日ほどポストモダン的な状況は徹底化されていなかったのだ。このような時代背景に色濃く影響された彼の作品群の完成度は、同時代の他の作品と比較しても水際立っている。「もてない男」の自意識的な肖像画を描くことは、当時既に消尽され尽くしてしまっていた、私小説という伝統芸の延長としても、文化的に許容されていたのである。

 だが後年、彼が自らをゲイであると告白したことにより、このような視線は180度転換してしまう。爾来、多くのライターによって、過去の私小説的な作品の数々を同性愛的に読む試みがなされてきたが(それらの多くが、いたずらに偏見に満ちたものであったことをここでは確認しておくべきであろう)、やはりそれは、異性愛を前提とした創作であったことが検証されている。
 彼は自らの作品を恋愛によってドラマタイズし、また同時にそれらの経験について偽証し続けることによって、相容れない二つの要素‐この場合ホモセクシュアルとヘテロセクシュアル‐に対しいずれも否をとなえる姿勢を発見した。これは非常に分裂病的な状態といえる。しかし、この方法(自己パラドクス)によって、彼は主観に依拠することのない、「外部」の気味の悪さのようなものをつかむことに、一時、奇跡的に成功していた。そこには苦悩に満ちた、そして何か迫力のある危機意識がある。私が彼を評価するのはこの点だ。メッセージではない。
 無論、このようなたくらみによって意図的に作り出された外部が、果たして「他者」に触れているかどうかは、甚だ疑問である。むしろ、そこは「他者」から遠く離れた地点といってよい。彼はこのあと初期の物語を否定するかのように、自己の内面世界やドラッグに傾倒していくのだが、やはりそこにも「他者」を発見することはできなかった。彼は恋愛を作らなくなって後、必然的に停滞してしまう。これこそが自意識という「孤独地獄」(芥川龍之介)に堕ちた男の末路なのだ。
 大切なことは、もっと率直に、そしてもっと素直に、考え、語られなければならない。

CDアルバム/1991.9.25発売
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by ecrits | 2005-08-26 20:42 | 批評

はじめに ~簡単な自己紹介~

   ecrits(1979~ )

 平成初期に活動した学生運動の推進家。批評家。「思想工房ECRITS」設立者、初代代表。全日本学生自治会総連合(全学連)特別参与。「発言する学生の会」顧問。

 1979年愛媛県松山市に生まれる。
 1997年二松学舎大学に入学。上京。
 翌98年、従来の政治的・文化的・宗教的主義や思想を超越した“知の横断線”を掲げ、私設サークル「思想工房ECRITS」を設立。初代代表に就任。機関紙『ECRITS』を発刊。
 99年、同名のサークルを他大学など3箇所に設立。大学の垣根を越え、学生同士が広く交流し、創造性溢れる知的言説を発信する場所を作った。

 専攻は日本近代文学・現代思想。
 自身も批評を中心に『ECRITS』に多く寄稿。カント論考からサブカルチャー論、現代美術、建築、舞踏、セクシュアリティに関する諸問題まで、幅広く評論活動を展開した。
 思想工房ECRITSの設立後、様々な学生運動・市民活動に精力的に参加するが、2000年1月民族派団体の襲撃を受け、一時、代表職を離れる。同年JR鶯谷駅前で起きた革労協反主流派による左翼内ゲバの殺傷事件に関与したとして、自ら代表を辞任。以後は諮問委員に名を連ね、間接的に支持を続けた。

 主な運動に、明治大学新校舎設立反対デモ。ライジングプロダクション追訴。歴史修正主義を検討する会。東京都における化学物質による生態毒性の実態調査報告。イラク戦争に反対する学生達の声明等。
 一水会をはじめとする右翼プロパーの団体とも積極的に交流、対談し、活動を共にすることもあったが、活動家・言論家としては終生リベラルな姿勢を貫いた。
 2000年二松学舎大学を退学。以後、郷里松山に戻り、自己の創作活動に専念する。

 主要論文・創作に『芥川龍之介のねじれ』(「邂逅」第五号)。『始まらない物語‐近代化するポップス』(「陽と波」創刊号)。『クイアーであることの要請』(「壱号式劇団報告」)。『マルセル・デュシャンの方法』(「ECRITS」創刊号)。『カントとスピノザ』(「ECRITS」第二号)。『フェティッシュはいかに可能か』(「ECRITS」第三号)。『BRUSHSTROKES!』(「ECRITS」臨時増刊号)など多数。

 ※ちなみに「ecrits」(「えくり」とお読み下さい)は、当ブログ用のハンドルネームです。団体名、雑誌名に関しては、そのまま事実に相違ありません。
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by ecrits | 2005-08-25 01:12 | そのほかのこと