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続・恋愛の「責任」

 スピノザという人は所謂「倫理」について一風変わった思考をした人である。主著『エチカ』においてその概要は述べられているが、今回「恋愛」一般の問題を考える前に、その内容に少し触れておこう。
 スピノザは、こう考えた。
 この世界に人格的な神などは存在しない。彼の考えでは、「世界」と「自然」と「神」は同義である。人格神とは幼い頃の家族体験などによる想像物に過ぎない。また、彼は自由意志を否定した。この世は全て自然因果性(神)によって規定されている。ただ、人はそのような関係性があまりに複雑な為に「自由」のようなものを想定する(または、無意識的にそのような拘束から逸脱する為に)。人間の行為や思考や、そのほか全てのものは、自然因果性を越えることはできない。しかしながら、我々はこの自然因果性を“認識しようとする”ことはできる。このことこそが「神を愛する」ということであり、「倫理」という謂なのだ。

 前回、私は「恋愛」にはその積極的根拠を語ることができない故に、絶対性を求めることができず、その不可能であることを解説した。が、そもそもこの論点にはそれ以前の落とし穴が存在している。端的に言えば、それは恋愛そのものの「動機付け」である。我々は、「いかにこの恋愛を成就させるか」を問う以前に、「なぜこの恋愛でなければならないか」を問わなければならない。一般的に言えば、我々は何故無数にいる異性の中から、“この異性”を選ばなければならないのか、という問題である。形式論理学でいう、この、thisnessの問題により、実は「責任」の問題は、その発生時点において破綻している。どういうことか。
 卑近な例を考えてみよう。例えば、自分の父がガンにかかった、という場合、人は「なぜ私の父がガンにかかったのか?」と問う。これは内省である。しかし、実の所、「私の父」は「私の父」だからガンにかかったのであって、その理由は別にあるわけではない。つまり、「私の父」と「ガン」は、その、そもそもの属性を離れて考えることはできない。よって、この問いは、「なぜ私の父は私の父なのか」という問いに変換できる。大事なことは、日常において私たちはこのような疑問を抱きうる場面において、このような問題の遡行を禁じることによって、逆説的に「なぜ」という疑問詞を支えている、という点だ。そして、この種の問いは、往々にしてはじめから答えを期待していないような場面において発せられていることにも注意しておこう。
 実は恋愛において、その発生に「根拠」(或いは「必然性」と言い換えても良いだろう)など、存在していない。それは、恋愛の対象に対して、「なぜ彼女は彼女なのか」という問いを発するのと同型だからだ。これは前回にも述べた事だが、だからこそ、古典的な恋愛劇には小道具や劇的な演出(血縁関係や強制的な接触)による、もっともらしい恋愛の意味づけが行われる。

 実は、人は決して自然発生的な現象に根拠を与えることもできず、したがって、責任を持つこともできない。が、このことは、現実的なレヴェルで恋愛を放棄することや、それにまつわる責任を放棄することには繋がらない。何よりも、人は論理的な次元で恋愛したりはしないからだ。それに、そのような論理的問題を認識していることと、責任を放棄することは別な問題だと言わねばならない。人は、ホッブズの言うように、与えられた共同体と道徳の中で結果的に上手くやっていく場合の方がむしろ多い(スピノザは、当時通商の関係があった徳川幕府時代の日本人について、神もいないのに、現に倫理的に立派である、と言っている)。
 我々は、このように与えられた「恋愛」(「自然」)に抵抗することはできない。しかし、そのような抵抗の形を認識しようとすることはできる。

 恋愛の責任は、このような不自由さを認識することによって、自覚され、実践される。
 それこそが、恋愛の「倫理」なのだ。

 
 追記:前回、私は(恋愛における)「主体と責任」の関係性が近代人に特有であることを述べた。自我の確立と近代性の成り立ちについては、また、別に場を設けて論じることにしよう。
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by ecrits | 2005-09-27 03:24 | 思想

私の『夢十夜』 ~第二夜~

 こんな夢を見た。

 気が付いたら、また「雨濃野」(あみの)にいた。今日はいつもほど雨が降っていないらしい。そのかわり濃い霧がかかっていて、50メートル先の灯台の光も確かではない。時間は夕刻である。いつも必ず会う少女と、はじめて見る顔だが、15歳くらいの少年がいる。彼は私をよく知っているらしい。
 
 私は中学生くらいの時分から、月に一度は、この「雨濃野」に来ている。もちろん夢を見ている間だけだ。「雨濃野」はいつも変わらない。それは、どこにもない風景だから。
 「雨濃野」は周径10キロメートルにも満たない、小さな孤島だ。四国で例えるならば直島だろうか。人口はおそらく100人にも満たない。昔ながらの寂れた漁村の雰囲気を想像してもらえれば大過ないだろうと思う。
 私が「雨濃野」に来る時は、いつも必ず雨が降っている。あるいは、この島では年中降っているのかもしれない。とにかく私にとって、晴れている「雨濃野」を想像することは容易ではないのだ。そして、私がこの島に来る時は必ず決まった防波堤にいる。そこから島のどこかに出掛けていったり、あるいは、防波堤で少年たちと世間話をして終わったりもする。その間も雨はひっきりなしに降っている。不思議なことに、私は「雨濃野」にいるとき傘をさしたりしている記憶がない。雨に打たれたままになっている。それはこの島で会う人たちにも共通だ。だから、比較的雨が穏やかなときには、なんとなくラッキーな気持ちがしていたりもする。

 先にも言ったが、その日は「雨濃野」全体が濃霧に覆われていて、一ヶ月ぶりに見る景色は、水彩で極端にぼかしたような、非常に曖昧なものだった。秋が近い「雨濃野」はふるえがくるくらいに肌寒い。
 私は、今回は動くことにはならないな…と諦めつつ、彼女たちと映画俳優の話をしていた(余談になるが、私が少女にオダギリジョーの良さを延々と説教していたのは、なんとなく夢から覚めても理不尽な思いが消えない)。ふと、島の西側に広がる小高い山の中腹に目をやると、その周辺にポツポツと明かりが見える。あの明かりは何?という私の質問に、彼女は、「きょうは“おんだいさん”の日だから」と答えた。“おんだいさん”の正体を知らない私は、彼女に根掘り葉掘り説明を求めた。うっとうしがられながら得た説明を要約すると、あの山の中腹に“おんだいさん”を祭っている寺院があり、今日はその寺院に“おんだいさん”の御本尊が街から返されるのだという。あの明かりは、この霧の中を懐中電灯を照らしながら寺院まで御本尊を運ぶ人たちの列だという。その話をはじめて聞いた私は、“おんだいさん”がどのようなものかを見てみたい気持ちが強くなり、彼女に道案内を求めた。嫌がられると思ったが、彼女は案外あっさりと了承した。
 山道は想像以上に険しかった。そのほとんどが獣道で、うっかり足を滑らせれば、ゆうに5メートルは転びながら後退してしまう。御本尊を運んでいた人たちは、もう既に寺院まで運び終えたらしい。人影はなく、霧はだんだんと濃くなっていく。この足場の悪い中を、おそらくは非常に大きいものであろう御本尊をいったいどうやって運んだのか、私は不思議で仕様がなかった。樫と楢の木ばかり生えている山はどことなく人をはねつけるような、冷徹な雰囲気がした。
 小一時間ほどかかって、私たちはようやく寺院に到着した。しかし、それは寺院とは名ばかりの高く聳え立った楼閣だった。五重塔である。出羽三山の羽黒山五重塔に似ていると思った。
 中に入ると、照明がないせいで、様子が全く分からない。先に到着しているはずの人たちの姿も見えない。ただ、凛とした空気が堂内を支配している。私は目が慣れるまでもう少しこのままでいようと思った。途中まで一緒に付いてきていたはずの少女と少年は、もうどこかにいなくなっている。私はとたんに不安になった。
 20分にも30分にも感じた。私はじっと立って…ただただじっとしていた。そうしているうちに、急に暗闇に目が慣れてきた。建物の中央には、普賢菩薩の立像が起立していた。高さは2メートル以上あると思われる。その普賢菩薩を取り囲むように、皮を張った一人掛けのソファーが内を向いて丁度10脚並んでいる。私の目の前のひとつを除いて、もうその他の全てに知らない人が腰掛けている。そうして、じっと黙っている。私はその光景に恐怖を覚えるより先に、自分が彼らを待たせてしまったことが申し訳なく思えて、すぐさま席に着いた。果たして自分がこの席に腰掛けてもよかったのだろうか…席に着いて後、私はそう思った。
 席に着いて後も、誰も口を開かない。動こうともしない。ただ、何かを待っている。
 私は生来のよそ見癖で、辺りを観察していた。目が慣れてきて分かったが、正六角形の形をしたこの建築の内壁には、どこもかしこも伊藤若沖の麒麟の画がめまぐるしい躍動感を持って描かれている。私はこの作家のヴィヴィッドな天才をあらためて感じるとともに、このソファーはコルビジェみたいだな…と全く関係のないことを考えていたりした。

 そうしているうちに、私はこの沈黙に耐えられなくなってきて、少し離れて座っている左隣の初老の男性に、“おんだいさん”はどちらにいらっしゃるんでしょうね? と、尋ねてしまった。彼は見たことのないような憤怒の表情で私を睨み付けると、轟然とあごをしゃくって私の真向かいを指した。言われてみれば、普賢菩薩の陰になって分からなかったが、私の向かいのソファーは一つだけ空席のままだった。私は急に興が冷めたような気分になって(目には見えないけれど、あそこに“おんだいさん”がいる…といったような展開は私を最も退屈させるものだった)、あれですか? と半笑いの表情で男性に言った。
 彼は声を出して笑った。私はびっくりして、彼を見た。
 彼は超然とした姿勢のまま私をじっと見つめて、思いのほか大きい声でこう言った。
 「“おんだいさん”の席は用意されている。席があることは存在の有無じゃない。社会的に“おんだいさん”が<ある>ということなのだ。“おんだいさん”は今も現に発言している。」

 私は凍りつくような恐怖を覚えて、しばらくは何を考えることもできなかった。
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by ecrits | 2005-09-24 01:28 | 創作一般

見沢知廉の死

 見沢知廉が亡くなったそうだ。
 9月7日、自宅マンションから飛び降りたという。今の今まで知らなかった。さっき、思想工房ECRITSの冷泉俊洋君が教えてくれた。
 残念だ。
 一水会の人たちと交流があった時分に、何かの会で一度だけお見かけしたことがある。文章から受ける印象とは全く違っていた。身体が弱っていた時期だったのではないか。
 失礼ながら、鳥肌実と良い一対だなと思っていた。もちろん単純に比較することなどできるはずもないが。

 思想でも何でも、否定的なポーズに私はうんざりしている。飽きるほど見た。それが芸だと思っているなら、なおさらタチが悪い。
 大真面目に、肯定的な現状関与ができなかった人だと思う。
 今は、一人の死を悼む方法で、見沢知廉の死を悼もう。
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by ecrits | 2005-09-17 05:13 | 点鬼簿

恋愛の「責任」 -夏目漱石試論

 夏目漱石は、小説『それから』のなかで、日本ではじめて三角関係のモチーフを小説の題材に採り上げたことで知られている。主人公「代助」は、旧友「平岡」の妻であり、もとは自分が「平岡」に紹介した女性であった「三千代」に恋愛感情を抱いてしまう。やがて彼は彼女への感情を抑えられなくなり、ついには「平岡」から彼女を奪い取り、共に生きていく決意を固めることになるだろう。
 今日既にありふれたものになってしまったこのような物語だが、「代助」は「三千代」に対する恋愛の根拠を、彼女の容姿や性格に求めるのではなく(無論、そのような側面もあろうが)、一種奇妙とも思える、「天意」という言葉によって説明している。要約しよう。自分(代助)が、久しく会わなかった三千代に、平岡の失業という偶然の事件から再会できたのも「天意」だし、二人がはじめからこのような苦難を乗り越えて結ばれることになるのも「天意」によって決まっていた。つまり、「天意」とは「運命」といったような意味合いで用いられている。代助は決して「久しぶりに彼女に会ってみたら、思いのほか美人になっていたから」とか「彼女が既に人妻だったから、欲しくなった」とは語らない。勿論、そのことには道徳的な不義の理由もあったろうが、それにしても、「天意」という言葉で自らの責任を転嫁してしまう姿勢は奇妙である。「運命」は常に第三者の意思により、事後的に語られるのだから。
 代助のこのような恋愛に対する態度を現象学的な視点から平板化してみよう。彼の恋愛には、そもそも「きっかけ」が存在しない(「天意」という語によって語られない)。さらに、彼は他者ではなく三千代を愛さなければならない要素を語らない。さらには、今更平岡から彼女を奪わなければならない理由は全くない。つまり、彼のこの恋愛は徹頭徹尾、不可思議である。しかしながら、彼は「天意」によりそのすべての疑問をエポケー(思考停止)してしまうのだ。我々は素直に彼の態度に疑問を抱かざるを得ない。恋愛に理由など要らない、と言ってしまえばそれまでだが。
 後述するが、実は彼こそがこの恋愛の「理由」を最も欲している人間なのだ。理由がなければ、二人の恋愛に必然性がなくなってしまう。必然性がなければ、彼は(例えば彼女を自分が守らなければならない、といったような)この恋愛の責任を負うことができない。だからこそ、たとえいかなるこじつけであっても、彼は理由が欲しいのだ。ゲーテの『トリスタンとイゾルテ』をはじめ、恋愛の古典作品の一部が、第三者の介入により結果的に二人が結ばれたり、「神」や「毒薬」などの演出により、本人達の意思とは無関係に恋愛が成立したりするのは、このパターンと同型である。そして、この「責任を負う」という因果関係こそが実に近代人を象徴している現象なのだ。

 「あなたは私を愛しているのか?」という問いに答えるのは実は極めて容易ではない。なぜだろうか。大澤真幸の『恋愛の不可能性について』はこの問題を易しく解題している。少しばかり、この著書の筋を追いながら説明していこう。
 まず、あなたは「あなたは私を愛しているのか?」という質問にどのように答えられるだろうか。もっと言えば、「あなたは私のどこが好きなの?」という問いにはどのように答えられるだろうか。
 例えば、あなたが相手のことを愛している証明として、相手の容貌や、優しさや、賢さなどを列挙したとする。しかし、それは実の所、何の回答にもなっていない。なぜなら、それらの要素は相対的なものでしかなく、「相手が相手でなければならない理由」、つまり相手の絶対性を証明することにはならないからだ。「君の優しい所が好き」という答えは、「優しさ」というカテゴリーのなかで相手を考えている時点で、既に「君でなければならない理由」から、最も遠く離れた地点に立っている。人は躍起になって誰かのことを愛していることを伝えようとしても、その裏腹に、言葉は相手の価値を相対的な尺度で測るしかなくなる事態に陥る。
 このことはキリスト教をはじめとする宗教のほとんどが、偶像崇拝を禁止したことと実は深い関係にある。「神」という概念は「神」という言葉を切り離しては考えられない。例えば、「お茶」という概念を認知する為には、「これは『コーヒー』でも『コーラ』でもなく『お茶』である」といったように「お茶」以外のものを経由して、最終的に「これは他の何ものでもなくお茶である」と考えざるを得ない。つまり、お茶を知る為にはお茶以外のものを知らなければならないのだ。しかし、「キリスト」を偶像として認知することは、先の例のように「キリスト」以外のものを言語的に認知しなくてはならない。唯一神であるキリストは、他の何ものをも経由せずはじめから終わりまで神は神である、といった立場に立たなくてはならず、ここに宗教のジレンマが生じる。このジレンマと代助の「天意」は一つのコインの裏表であることを確認しておこう。

 20歳前後の私はこの問題に深くとらわれていた。
 他者に愛情を感じたと同時に、なぜ彼女なのか、という疑問がすぐさま発生して、そこでは何者も愛せなくなってしまう。
 この地点において漱石は、ドストエフスキーが考察した、極めて20世紀的な課題-人は論理を愛するあまりにおいて、身近な他者を愛せない-の障壁を遥かに先取っている。

 私がセクシュアリティの諸問題を考え出したのはこのときの感覚が原体験になっている。結局、私はフェティッシュから逆説的に愛情を捻出する方法を考えた。しかし、このことは貨幣の矛盾と問題軸を同じにしている。たとえ、「優しさ」が「フェティッシュへの欲動」に変わったとしても、やはりそれらに尺度が存在する限り、いくらでも問題は伸縮する(つまり、貨幣はその価値そのものとは別に、貨幣がより大きい貨幣を欲する欲望のループとして機能する)。

 ここ数年、倫理的な問題についてカントからスピノザを読み、スピノザからカントを読むような思考を展開してきた私は「他者」と「責任」というキーワードの元に、ようやくこの問題に論理的な筋道をつけることができた。が、ここではその示唆に留まろう。次回以降、少しずつ問題を敷衍しながら「責任なき意思」のポストモダンな条件について語ることにする。
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by ecrits | 2005-09-17 03:30 | 思想

私の『夢十夜』

 こんな夢を見た。

 時間は白昼である。私は既に物故した友人と松山の郊外を歩きながら話をしていた。
 話の内容は他愛のないものだった。既に鬼籍に入っている友人と散歩していることに私は別段恐怖を感じてはいない。ただ、数年前に物故した友人が私の最近の身の回りの詳細を知っていることが私には何故か不思議だった。「久しく会わないが、もう一度会ってみたい人はいるかい? 特に女性で」彼はこう言って、口元に笑みを浮かべた。私はすぐにYさんのことが頭に浮かんだが、その質問に答えるのは何か不吉な気がしたので、何とも答えなかった。
 やがて路は昔よく歩いた小学生時分の通学路になっていた。私は友人の右手に(彼は左利きだった)墓参りのときの水桶が握られているのに気が付いて、「これから墓参りに行くの?」と尋ねた。彼は不思議そうな顔をして、お前が言い出したんじゃないか、と答えた。そうだったような気もしたから、私は大きく頷いて、水桶の中の一杯に張られている水面を見た。夏でもないのに、水面は太陽の光に乱反射して、脂ぎったようなギラギラした色を浮かべていた。
 しばらく歩くと、右手に古い大きな団地が見えてきた。彼は私を先導するようにその団地の中へ入っていった。通りがかりに一階のポストの表札を見ると、そこには意味の分からない経の一節が梵字で細かに延々と綴られていた。
 団地の裏手は小さな家庭菜園と、あとは茫々とした墓地が広がっていた。墓地に墓石は一つもなく、2mを越す細長い四角錐の石柱が尖った方を地面に突き立てるようにして何十本も乱立していた。私は流石に不気味になり、友人の姿を探したが、もうそのときには彼はどこかへいなくなってしまっていた。私の手にはいつの間にか水桶と弔いの花が握られている。彼がいつまでも一緒にいてくれるわけではない…そう合点した私は、誰のものかも知らぬその石柱の一つに献花し、手を合わせた。そうしているうちに、突然自分が死者を弔いに来たのか、自分が既に死んでいるのかが判然としなくなってきたから、私はパニック的な恐怖を覚えて、誰彼かまわず人をつかまえて、本当に自分が生きているかどうかを尋ねてみたくなった。しかしながら、生きているのも死んでいるのも、今の自分にとってみれば同じことだ、という諦念の気持ちがどこかにない訳ではなかった。あらゆる享楽に麻痺している自分は、もはや何にも動かされることはない…。もう、疲れてしまった…。
 墓地を後にすると、もうそこは団地でもなんでもない。路でもない。ハイウェイのように中央線だけ引かれた、どこまでも続く未舗装の大地である。目の前には、日本の脱穀機に似た手回しの機械が点々と遥か彼方まで無数に置かれている。回転する車輪の部分から何本もの突起が真っ赤に突き出ている。そうしてそれが音もなく高速で回転している。私は発狂の恐怖を感じて目をつぶった。すると昔世話になった一人の女性の顔が唐突に頭に浮かんだ。その人が憎悪の表情で私を見つめていたので、私はいたたまれなくなって、自分が私欲のためにしてきたことを何もかも償ってしまいたい気分になった…

 目を覚ますと、時刻はまだ夜中の3時過ぎだった。私は疲れた頭を下世話な俗事で紛らわせるため、松山市中心部の「UNDER GROUND CAFE」にビールを飲みに家を出た。少し肌寒かった。
 石柱は以前私が砥部焼きの陶芸家の知人に製作するよう依頼したオブジェに酷似していた。脱穀機は、マルセル・デュシャンのチョコレート摩粉機のような気がするが、定かではない。
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by ecrits | 2005-09-15 07:28 | 創作一般

ラーメンズの可能性

 数年前から何かの折にふれてラーメンズを褒めていたら、何の因果か、自分が芝居に関わることになっていた。とはいっても、私はそもそも演者として、或いは脚本や演出のかたちで舞台に関わったことが一度としてない人間であって、そのような私に深遠な演劇の論理など一朝一夕に理解できるはずもなく、私は自分の考えてきたことの可能性を舞台という場所で表現できるのではないかと考えて、唯我独尊にやらせて頂いているだけの話ではあるのだが。
 本でもそうだ。「何を読めばいいですか」。この手の質問が一番困る。まず、今のあなたは何に対して、どのような問題意識を抱いているのか。思考するに足る基礎的な知識は備わっているのか。現在、どのような物事をどのようなレヴェルで考えているのか。それら一つ一つの問いの回答によっておのずとアドヴァイスも違ってくる。そもそも私は人に対してアドヴァイスできるほど頭の良い人間ではないので、過去の自分を顧みて、思想を勉強してみたい、という若い人には「岩波文庫でいいと思います」と答えるようにしている。50%のヤケと50%の期待。若い人が読めるか否かは別にして、そこで引っかかってこない奴はそもそもその先の努力へ進めない。こう言うと、馬鹿な私が学生をふるいにかけているような気がして、流石に気が重いのだが。
 舞台で人を笑わせてみたい、という。なるほど、そうか。しかし、どんなものが面白いと思う? と尋ねたら、口をつぐんでしまった。自分が何が面白いのか分かっていない連中に、人を笑わせる技術が習得できるとはとても思えない。悩みに悩んで出た結論が、「どんなものを見ればいいですか?」。来たな!と思う。そんなに真面目に考えたいのなら、そもそも私に聞きにくるのがお門違いだ。
 ラーメンズの「日本語学校アメリカン」(『椿』収録)を見せて、反応をうかがう。これは私にとっての試金石だ。笑ったから良くて、笑わなかったから駄目、というのではない。私が知りたいのは“笑う”という行為を真剣に考えている人間が、言語の物質性にどれだけ敏感か、ということなのだから。案の定、笑う人もいる。首をかしげる人もいる。ただ、たいていは笑う。笑った後に吐くお決まりの台詞。「シュールですね」。この言葉は聞き飽きた。まず「シュール」という言葉を百科事典で引いてみるところからはじめてみてはどうだろうか。

 例えベルグソンを勉強していなくても、文化人類学なんてやらなくても、「面白い」ことは直感的に理解できる、という日本人の不思議さ。しかもあながちピントがずれているわけでもなく。これはすごいと思う。だから一層貪欲になる。貪欲になると、方法論を模索し始める。可能性は広がっていくように思えるかもしれないが、これが難しい。ラーメンズという固有名をドイツ語の「額」から拝借した、というもっともらしい言い訳は、それが真実であるか否かを問題とせずして、妙に真実味がある話だ。その意味では、わたしはダウンタウンも「ラーメンズ」だったと思う。彼らの「コペルニクス的転回」は「額」を破壊してしまった。すべてをひっくり返した。

 笑いの根源的な難しさは、「言語が言語のための言語でしかない」(ゲーデル)ところに端を発している。人は、言語を外部から、或いは超越的に語ろうとするが、そのための「言語」がすでに「言語」によってしか語りえないので、その瞬間に再び「言語」の内部に閉じ込められてしまう。実は、人は言語によっては何ものも語る(意味づける=名付ける)ことは出来ないのだ。この不可避的なパラドクスゆえに人は笑う。確認しておかなければならないのは、「笑い」とはこのような無意識の「抵抗」のかたちであるということだ。
 例えばダウンタウンはこのような無根拠性を直感的に理解していたという点において卓越していたと私は感じる。このことは、何も彼らが知的に特別だったことを意味してはいない。ポストモダン的な状況が徹底化された90年代に、彼らが笑いのためのフィールドとして選んだのは「学校」であり「家庭環境」であり「幼児体験」だった。もはやそのような原始的な共同体以外に共時性を求めることができないほど、我々を巡る時代的な状況は貧困になってしまったのだ。このことは単純に驚くべきことだ。彼らの笑いは一種の「底突き」(後藤明生)的な状況に置かれていると言って良いだろう。だから松本人志はあれほどまでに笑いのフォームそのものを提出するのだ。

 ラーメンズが難解だ、という評価を聞く。率直に言って、阿呆ではないかと思う。彼らにしても、取るに足りないような下らないコント(辞典を引くついでに、この言葉も調べておくと良いかもしれない)がいくつもある。一般教養的なものが軽んぜられ、いたずらな情報の拡散と想像力の減退か著しくなった今日、そのような「教養」がラーメンズより遥かにクオリティの高い笑いを生んでいた時代と比較すれば、難解という評価は「欠落が欠落している」(大澤真幸)と言わざるを得ないのではないか。しかしながら、現代という方向に極端にねじ曲がってしまった鉄の棒を、元の方向へ曲げ直す試みは微力ながらも無視されてはならない。
 ラーメンズは告発している。「中大兄皇子」はもはや「なかのONOG」であり、「運慶・快慶」は「天気予報」だし、「天草四郎」は「A(The) Max A Shallow」に過ぎず、「螺鈿紫檀古弦琵琶」にいたっては外国語のようにしか聞こえなくなってしまった…そのことの可能性と危機感を。
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by ecrits | 2005-09-10 06:10 | 批評

他者と倫理

 柄谷行人が昔(というか今も)、我々は未来の他者に対する責任がある、と度々口にしていたことがある。このことは一体何を意味しているのか。また、「未来の他者」とは具体的に何のことか。最近、連日のように「倫理」という事柄を考えている私にとって、この考え方は意外に重要な示唆を与えている。ではまず、この「未来の他者」という言葉を反芻しながら、少しずつ「倫理」へ向かって問題を解きほぐしていくことにしよう。

 例えば、私が私怨から誰かを殺めたとする。このとき、人を殺めたことの「責任」はどこに存在するのか。これは、いうまでもなく「私」にある。私はそのために刑事的な処罰を受けなければならないし、単純な話、刑務所に入らなければならない。このことは、“器物を損壊した”“人に不利益になることをした”“人の心を傷つけた”場合でも問題の大小はあれ、原罪という根幹は同型である。
 少し問題を押しすすめて考えてみよう。我々の「責任」は果たして現存している人やモノに対してのみ課せられているのだろうか。
 エコロジー運動を例にとろう。産業革命以後、我々がエネルギー資源として活用してきた化石燃料は、このままのペースで消費すれば、石油は約34年、天然ガスは約55年で枯渇するという試算が発表されている。しかし、現在50歳の人間が放っておいてもゆうに30年持つ石油資源が存在するのに、わざわざ「地球に優しい」運動をする必要があるだろうか。これは、当然と言えば当然過ぎる疑問である。
 ここにおいて発生する「責任」の形が「未来の他者への責任」である。つまり、「未来の他者」とはより具体的には、われわれの子供や孫を指している。50歳の人間が死ぬまでに消費する資源については問題ない。しかしながら、それでは自分の子供たちが使う資源が消尽してしまう。だからこそ、代替エネルギーの開発やリサイクルの運動は彼らにとって有用である限り、我々に課せられている「責任」の問題なのだ。

 イマニュエル・カントは、このような未来的に問題を持ち越す課題を「統制的理念」と呼んだ。彼の「恒久平和」という統制的理念が1945年に国際連合を生んだことはあまりにも有名な史実である。
 ここで注意しなければならないのは、このように仮定された「他者」や「理念」には神秘的な色彩が一切ない、という事実である。エコロジーや恒久平和の例が示すように、それらは将来的に達成されるべき課題なのであって、単純な妄想とはレヴェルを異にしている。それらの「理念」がいかに現実と乖離していようとも、それは達成されなければならないという地平において、まさに“恒久的”に働き続ける。繰り返すが、これは単純なスローガンではない。それどころか、非常に計画的に我々を拘束する足枷なのである。

 「倫理」という難しい概念は、この地点において考え直さなければならない。
 統制的理念は我々ではない人々(つまり他者)に向けて放たれた光芒である。我々は常に現在的な存在でしかありえないので、倫理の問題を持ち出すことは、発信者の倫理的イデオローグにすぐさま組み替えられてしまう。他者に対する責任。このことこそが唯一「倫理」を可能にしているのだ。これは逆説的な倫理の不自由さである。倫理という問題を道徳的なものかのように考えている連中は、このような基本的な思考すら不徹底なのである。
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by ecrits | 2005-09-08 02:27 | 思想

堀秀彰への手紙

 君がニューヨークへ行くという話を聞いて、僕はこの2.3日心がまるで落ち着かない。折からの神経症と、何か捉えどころのない不安感で、心が締め付けられるような気持ちがする。僕にその理由を聞かれても困る。どうせ君は僕がうつむきながらボソリと話し始めるのを、苦笑いの弱った顔で見ているのに決まっているのだから。
 堀君。だから僕は、君が日本にいないこのスキを狙って、君への手紙を書くことにする。書き始めるとキリがないこの手紙の顛末を、どうか知らずにおいてくれ。これは僕からのお願いだ。

 君という存在が僕の心に根を張り始めたのは、まだ柏nardisが以前の場所にあった頃、だからもう7年も昔のことになる。僕が女を口説くことと、美味いモルトをたらふく飲むことと、意味なく人を扱き下ろすのに必死になっていた頃、君はまだ早稲田で真面目な学生をやりながらピアノを弾いていた。「お互いに若かったな」- この感慨を吐くのにもう充分過ぎるほど、君も僕も大人になってしまった。あれは、特にライヴじゃなかった日だった気がする。君は小峯さんと談笑しながら、その年の手賀沼ジャズフェスティバルの話をしていた。君はブッカーズを飲んでいた。憎たらしいガキだな、と思ったよ。接さずとも、君の横溢する才能が距離を隔てて伝わってきた。君が帰った後、小峯さんが「あれが堀秀彰だ」と僕に紹介した。当時から天才の名をもって知られていた君のことを知ったのはあれが最初だった。
 思えば、長い付き合いになるな。nardisでライヴをやるときは何故かタイミングが合わなかった。最後のほうに僕がちょこっと顔を出すだけで、君は入り口の僕を一瞥して、ソロの間の悪さに唇を噛んでいた。最初は君も僕を厄介に思っていたんだろう?なんとなく伝わってたよ。爾来、店で会うときもチラッと目を合わせるくらいで、格別話もしなかった。僕も君のピアノに惚れていたことは否定しないが、僕は僕で、まだ「言葉」の絶対性を信じていたかったんだな。僕は思想の畑。君は音楽の畑。垣根があるように思っていた。
 俺が「思想工房ECRITS」をはじめて、『ECRITS』の創刊号を100部手作りして、ほうぼうの飲食店やホールなどにおいてくれるよう頭を下げまわっていたときだったかな。しかし、クリスマスだったような記憶もあるんだ。そのへんの時季があいまいだが、nardisで久しぶりに再会した。俺は君とはじめてふたりっきりで膝をつき合わせてしゃべった。小一時間くらいだったかな。その時はじめて君が俺と同じ年だということを知ったんだ。戦慄が走ったね。何がどうということはない、君には一生かかっても敵わないとハッキリ悟ったよ。同世代の天才にrespectを感じたのは後にも先にもあれが最後だ。君が知ってのように、俺の傲慢さは並ならないものがある。たいていのヤツには負けない仕事をしてきたと今でも思っている。でも、それは違っていたんだな。
 率直に言おう。君がいたから頑張ってこれたんだ。今でもその思いに変わりはない。

 君と女を取り合うようにして、僕は松山に引っ込んだ。それっきりだ。もう、あの女性とは続いていない。気が変わったら連絡してみたらどうだ。僕はこの土地にまだ暫くはいるつもりだから。
 だんだん湿っぽくなっていくな。僕はこういうのが一番嫌なんだ。嘘を言っている気分になってくる。今日のように神経を乱している日は特に。

 最後に一つ。君がやった広瀬潤次と吉田豊のトリオの演奏は今でも僕の神経症の緩和剤になっている。きっと、これからもそうだろう。それから、一番君に言いたいこと。「どうか体を大切にし給え」。
   愛憎の堀秀彰へ。最大の感謝を込めて。
   2005/9/3


   堀秀彰氏のHP→http://horinky.withmusic.jp/
   nardisのHP→http://www.hi-ho.ne.jp/k-nardis/shop_top.html
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by ecrits | 2005-09-03 05:25 | 友人

岩井俊二『四月物語』を再発見する/2003.4.7 『others』初出

 先日、親しい友人たちの呼びかけで花見に参加する機会を得た。まだ肌寒さが残る4月初旬の日曜、それまで連日のように雨が降っていたその中晴れの昼下がりに、われわれは松山市の城東、石手川の土手沿いに集合した。
 市内を東から南に切断するように流れるその川は、源流を奥道後の静かな湧き水に保ち、今日でこそ上流に広大なダムを有しているものの、かつては白鷺が羽を休める優雅な流れを見せていた。住宅街がまばらに点在する中流域に差し掛かるころの千本桜は桜の見所で、毎年この時期になると大勢の花見客が訪れる。
 格別な挨拶もないまま、いつ終わるとも知れぬ宴の席の途中で、私は何気ない心持で舞い散る桜吹雪を見、ふと岩井俊二の『四月物語』を思い出していた。

 『スワロウテイル』(96年)、『リリイ・シュシュのすべて』(01年)などの作品で知られる映画監督岩井俊二が製作した、大学進学のために上京してきた18才の少女の物語。
 主人公の楡野卯月(松たかこ)は北海道の旭川出身。上京し、慣れない新生活の日々をスタートさせる。ある日、彼女は学生同士の自己紹介で「なぜこの大学を受けたのか」と質問され、答えに詰まってしまう。彼女には高校時代に想いを寄せていた先輩がおり、彼女は彼の進学先である武蔵野大学を受験し、合格したのだ。
 やがて彼女は山崎先輩(田辺誠一)がアルバイトをしている書店「武蔵野堂」を尋ね、再開を果たし喜びに胸を躍らせることとなる。

 作品としては、この作者の繰り返すモチーフ「美しき恋愛物語」に終止したストーリーで、そもそも批評に値する作品ではない。作品序盤に執拗なまでに展開される、大量の桜吹雪が舞い散るシーンの反復は、新生活の始まりを予感させ、それなりに華麗ではあるが、やはりイメージの弱々しさを露骨に感じさせるカット割り(特にタクシーの運転手に道を尋ねる引越しのトラックが通り過ぎ、そこに白無垢姿の花嫁が乗り込むシーンなど)によって、いかにも貧相な映像に仕上がってしまっている(その貧相なイメージを意識して演出しているのだから余計にタチが悪いというべきか)。
 私はこの作品を渋谷の映画館のレイトショーではじめて観た。その時は『リリイ・シュシュのすべて』の先行公開の会場であり、『リリイ』を含む3本立ての一本として観たように記憶している。『リリイ』が、あまりにも貧しく、いや、その貧しさこそが今日という現代のリアルであることの証明だったのに対し、この作品は言わば「終わりなき自意識」の貧しさに貫かれている。柴門ふみは、この作品を「ひたむきな少女の正しさ」が描かれているとして絶賛しているが、もはや阿呆としか言いようがあるまい。この作品を賞賛することも批判することも、あまりにも易しいのだから。

 『四月物語』は終わることのないモノローグである。そこには感傷以外が入り込む余地はない。
 作中、先輩が一足先に進学した武蔵野大学という名称から「武蔵野」という記号を取り出し、「それ以来武蔵野は私の特別な場所になった」とつぶやく少女は、国木田独歩の『武蔵野』を愛読書にし、まだ見ぬ武蔵野の風景(それはまさに自意識特有の「どこにもない場所」として機能している)を夢想する。日露戦争後、日本近代文学の起源ともなった『武蔵野』という風景が実は自らの「内面の発見」(柄谷行人)であったこととそれは、おそらく無関係ではありえないだろう。

 しかし、かく言う私自身もそのような不純な動機によって上京のために進学を決めた一人であってみれば、これは他人事ではない。“外部=他者”を理解できないこと、それが若さということなのかもしれない。
 新高校生、新大学生、とにかく「内面という観念の曖昧さ」(小林秀雄)に足元を掬われている間に、噛み締めておきたい映画。


  ※この文章は、作者が運営していた情報配信企画『others』で、2003年4月7日に公開されたものに、作者自身が加筆・訂正を施したものです。
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by ecrits | 2005-09-01 04:24 | 批評