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僕の「愛媛」 ~山本清文へ~

 山本清文君へ。
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 君に向けて、私の「愛媛」を披露する。
 君の長きに渡って為した仕事―「えひめ35景」(テレビ愛媛)は立派なものだったと思っている。ただ、僕は不満足だった。そこには閉塞した“景色”しか見えなかったからだ。何かの折に、僕は君にこう言ったのを覚えている。風景の発見とは、実は、自己の内面の発見なのだ。そして、それは風景をかたどる共同体の発見なのだ。厳しい言い方かもしれないが、その意味では、君は何一つ“発見”はしなかった。君が見つめていたものは、何よりも閉塞を続けるムラであり、ムラを抱え込みながら側転する「愛媛」という地方だったからだ。だから、僕は不満足だったと感じている。
 むしろ君は「愛媛」を手放すべきだった。この土地は、いま手放されなければ分からないほど、ヒドイ不感症にかかっている。
 君の見た場所に、果たして風景はあっただろうか。
 僕は、君に僕が見た風景を披露したい。ひょっとすると、それは単純な美しさとは違うものかもしれない。

 11月13日、愛媛県東温市白猪の滝(しらいのたき)を経て西条市西山興隆寺を詣でる。紅葉を愛でる目論見だ。
 我々は市内中心部を出発し、まず、白猪の滝を目指す。
 桜三里を脇にそれ、蛇腹の山道を駆け上がること15分。広がった停車場に到着する。ここからは峠道を自力で這いつくばって瀑流の麓まで登らねばならぬらしい。
 当日体調の不良を訴えていた友人を無理に引き連れ、いや、中途からその余裕も失い、半ば置き去りにするようにして、私は登山を続ける。途中、何台もの車に追い越され、中腹付近に有料駐車場を発見したときは、はらわた煮えくり返る思いであったが、どうにかこうにか、片道30分程度の急なアップを制した。
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 登山道の裏手に、囲い込まれるようにしてその瀑布はあった。それは、見事な景色だった。どこかの家族に無理やり連れてこられた、顔のつぶれた犬も滝をじっと見ている。
 子規の歌碑と漱石の句碑を見付けた。
 「見渡せば 雪かとまがふしらいとの 滝のたえまは 紅葉なりけり」‐子規
 「瀑五段 一段ごとの 紅葉かな」‐漱石
 と、ある。子規との親交から漱石がこんな山の中まで足を運んでいたことは率直に驚きだが、私が考えていたのはそんなことではない。南北朝の河野氏の亡霊が、白い猪にまたがって出たという逸話の方だ。瀬戸内の海賊に過ぎなかった地方豪族が、菊池武敏にいいように言いくるめられて時流を見誤った。その結果、中心‐周縁(京‐九州・四国あるいは松山‐川内)の図式に簡単に吸収され、追いやられた。「白い猪」というメタファーも、血種の尊さを印象付ける分かりやすさだ。そして、このことは未だに愛媛という地方都市とそこに定住する人間の図式にピタリと当てはまっている―事態は何も変わっていないのだ! もう、誰の目にも猪など見えていないにもかかわらず。今日、川内に猪がいるとも思えないが。

 空が少しづつ薄墨色になってきた。我々は足を速めた。
 丹原を抜け、西条市に入る。西山興隆寺。開基は空鉢上人。真言宗醍醐派。本堂は頼朝が造らせた寄棟造りで、重文だという。参道には菓子の露店が並んでいる。
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   本堂、山門
 木々はまるで色付いていない。
 別名紅葉寺と言われているそうだが、腐って落ちた紅葉が鮮やかで、それが風流だった。石垣から枯紫陽花が何本も顔を出している。
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   何のつもりか朱に塗りこめられた弘法大師、真言
 長い石段をこらえて登ると、ドリカムの『Winter Song』が大音量でスピーカーから流れてきた。なるほど、冬だ。誰もがそう思うに違いない。
 自作のからくりを見せて甘酒を振舞うコーナーもあったそうだが、全てに疲れていた我々に、もはやその勇気もなかった。
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   収穫。狛犬が男前。可愛い。
 暮れゆく仏法山は、とたんに人影が少なくなる。
 本尊の千手観音が見たかったが、チラリとも見せてくれる気配がない。
 ダラダラと延びるこの道を戻りながら、私はふと、「人生は長い下り坂だ」と言った作家の文句を思い出した。私はこのような言い回しを端的に好かないが、さもありなん、とも思った。このときばかりは。やりきれなさ。しかし、「風景」とは元来このようなものだ。何の意味もない。実用的ですらない。そんな「つまらない」ものに感情を押し付けようとするほうがおかしい。それは、それだけのものだ。
 熱を帯びた友人が呟く。熊野みたいだ、と。
 なるほど、そうかもしれない。山が生きながら死んでいる。
 「えひめみたいなもんだ!」 なあ、清文。そうは思わないか?
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by ecrits | 2005-11-26 04:46 | 友人

素晴らしき「bleakground」賛

 「マイブログ」に登録させていただいているbleakgroundさんのダイアリー。
 いつもハッとさせられる。
 なんだろう、この言葉の煌きは。

他人を傷つけてしまうと思うと、思考を停止してしまう。しかし思考の停止は決して優しさではない。
思考を止めないこと。それがすべてだ。


 と、ある。
 こういう人がいて、良かった。
 私は決してこのように語らないが、これほど力強く思ったことはない。
 また、言う。

参った。「写真」と出会ってしまった。とらえられてしまった。
「出会う」っていう感覚は、、、本当に「向こう側」からやってくる感じだ。


 ナルホド。
 正確に対象を捉えようとする言葉は、スルリとその額縁を抜け落ちて、かくも激しくのた打ち回る。
 私よりも言葉が抵抗するのは、こういうリアルな日々の経験かもしれない。
 第一線の環境でやることの凄まじさを肌で感じる。
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by ecrits | 2005-11-21 05:32 | そのほかのこと

GRASP!  (第四回)


   (ⅳ)

 行為主体は、その行為が規則に従っているか否か決定することはできない。しかし、現実においては、規則そのものの充分な理解のもとで、私たちはある行為の妥当/非妥当を判断していると通常は理解している。では、そのような確信はどのようにして行為主体に起こるのか。そろそろ我々はそのように率直に問わねばならないと思われる。
 ここに、その手掛かりから始めよう。東浩紀は、その著書『存在論的・郵便的』の中で、デリダの「脱構築」をゲーデル的‐論理的脱構築と「デリダ」的‐郵便的脱構築の二つに分け、後者への言及をデリダの中期テクストに見出そうと試みている。この二つの「脱構築」は、ともに「不可能なもの」への思考(もしくは体験)である。しかしラカンの理論によって代表される前者においては、その「不可能なもの―つまり自己言及における、言語行為の主体の意味付与―」は、システムの形式化への徹底によって、必然的に取りこぼすものとして規定されている。それに対して後者は、システム全体についてもはや言及しない。郵便的脱構築においては、「不可能なもの」は形式化の結果としてではなく、その都度のシニフィアンの意味的同定の不可能性によってあらわれる。
 この二つの「脱構築」は、それぞれ私たちが検討してきた複数の証明体系(オブジェクト・レヴェル)の並立による超越的証明体系(メタ・レヴェル)の否定と、そのことから不可避的に起こる証明体系自身の同一性の否定とに対応している。確認すれば、まず私たちは一つの事態に対して複数の定理の帰属する複数の証明体系が並立可能であることを示した。そしてそれらを統合するメタ・レヴェルの証明体系が想定不可能であることから、メタ/オブジェクトの峻別と、そこから導き出される超越的証明体系(真理)という構造を脱構築したのである。つまり私たちは、一つの事態の一義的な意味的同定の正当性の不在を証明したのであり、このことは、言い換えれば一つの事態を「不可能なもの」として規定したことに他ならない。しかし、一つの事態に対応する超越的証明体系の不在は、そのままオブジェクト・レヴェルにおける証明体系の意味的同定の不可能性をも意味していたのであるから、もはや私たちはシステムの形式化からの「不可能なもの」の抽出というゲーデル的脱構築の論理的スタンスを支持することはできない。「不可能なもの」は、決して形式化からの剰余としてではなく、より細部において常にあらわれる可能性を持つものだからである。
 この郵便的脱構築が特徴的なのは、「不可能なもの」を確率的な位相において捉えたことだけではなく、それがコミュニケーションの失敗可能性によってあらわれるとしたところにある。してみれば、先に記したクリプキの主張する規則に従うことのパラドクスにしても、行為主体が規則に従っているか否かの判断が、他者に委ねられていることが本質的であるがゆえに発生したのである。
 したがって、いまや私たちは、前述した「規則に従っているという確信が、行為主体に起こるのはなぜか」という問いを次のように変形しうるだろう―経験的対象が超越性を伴って行為主体を掴む際に、その超越化の根拠(超越的証明体系)の存在を行為主体に想起させる社会システムとは、どのようなものか? と。
                           第1章 了
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by ecrits | 2005-11-19 05:25 | 論考

GRASP!  (第三回)


   (ⅲ)

 以上の結論は、しかしフッサールの問題だけにとどまらず、規則一般に対する私たちの常識的な考え方に異議を挟むものになるだろう。本題に入るにあたり、まず注意したいのは、証明体系が常に複数並立可能であるということが、2+2=4が十進法に、2+2=11が三進法に、とそれぞれ異なった証明体系に基づいているため並立可能である、ということを意味しているのではない、ということである。前節までにおいては、論理を簡略化する必要から以上のような結論を下していたが、実際にはそうではない。まず私たちは定理が超越的ではなく、歴史的・経験的なものとして確定した。その上で証明体系の複数性を導き出したのであるが、前節の結果では証明体系の単一化は不可能であるが、それぞれの定理の中においては、証明体系の同定が可能であるかのような印象を与えたかもしれない。しかし、もしこの帰結が正しいとすれば、超越的証明体系(真理)を否定した結果としての複数の定理が、統合不可能であるにしろ、個々の内部においては同一性(つまり先験的・超越性)の獲得が可能であるという、論理的な不整合に陥ってしまう。実際には、超越的証明体系の否定は、そのまま諸定理の超越性の否定を示してもいるのであるから、もはや私たちは以上のような結論を支持することは不可能である。したがって、単一の事態に対して複数の定理が並立可能であることが、定理が歴史的・経験的なものであることを示している以上、その複数性は、そのまま個々の定理の「解釈」にも、やはり及ぶものであると認識しなければならない。
 この結果の指し示す事柄が、どのような定理・規則に対する私たちの態度の変更を要求するのであろうか。詳しく調べていこう。繰り返すが、私たちは一つの事態に対して複数の定理・規則が成り立つことを証明した。しかしその結論が、前提として定理・規則の超越性の否定の上に成り立っている以上、個々の規則そのものも、やはり歴史的・経験的産物である他はない(これはフッサールの逆説によって、既に予告されている)。したがって個々の規則も、一つの逆説に過ぎない。よって、その事態に対しても、やはり複数の解釈が並立可能でなければならない。
 
 しかし―だとすると私たちは、自らの行為を何かしらの規則・法則に従った結果としてはもはや位置づけられないはずである。どういうことか。ここでは、それをクリプキに依拠しながら説明していこう。まず注意しなければならないのは、“何かに従った行為である”とその行為主体が認識する為に必然的に要求される規則の性質についてである。まず第一に、規則は先験的でなければならない。たとえば行為主体が、今まで一度も経験したことがない行為に対しても、それを特徴付ける規則によって妥当‐非妥当を決定しうるものでなければならない。したがって規則は、個々の行為に先立って成立しているものとして要求される。そしてこのことから導き出される帰結として―第二に、規則の射程に含まれる行為自体は、必然的に無限集合となる。
 ところが、規則の以上のような(私たちが日常、当然のものとして理解している)性格は、前節までの結論から既に否定されている。では、このような規則の先験性(同一性)の否定は、どのような事態を引き起こすのであろうか。少し細に叙じて考えてみよう。
 例えば、その計算を過去において一度も行ったことがないと仮定して、いま私が「68+57」という式から、加算の法則(ここでは十進法)に従って演算を試みるという内的契機を経て、「125」という解答を提出したとする。つまり私は、確かに加算の法則に従ったと確信している。ところがここで、ウィトゲンシュタイン‐クリプキ流の懐疑論者がつぶやく。彼は、私が過去において同様に「加算の法則」に従った場合、先の計算の結果は「11122」であったはずだ、と主張するだろう。この考え方は、常識的な判断からすれば異様である。しかし、仮定から「68+57」に対する加法の法則に従った計算の結果が「125」であることを、私は過去において直接は明示していない。そのため、私が自らの先の演算の結果が正当であると言えるのは、過去において用いた関数や規則と確かに同一の規則を用いて計算した結果が「125」であることを証明し得たときのみである。そして実際に、私がこのことを主張したとしよう。しかし、この私の主張に対して先の懐疑論者は、私が過去において「加算の法則」に従った計算の結果の事例を有限個でしか提示できない―これは、経験が有限個であるから当然の帰結である―のであるから、私が過去において使用した関数が、他ならぬこの関数であることを示すいかなる事実も、過去の事例において存在していない、と反論する。そして彼は、私が過去において(57以上の数の間の加法を経験していなかったとして)従っていたのは、以下のような規則に違いないことを主張する。

  もし {X,Y}<57ならば、X◇Yは十進法に基づく。
     {X,Y}>57ならば、X◇Yは三進法に基づく。

 この関数を、クリプキの用語を援用してAddition(加算)に対してQuaddition(クアディション‐“クワス”の関数)と仮称しよう。
 懐疑論者の主張に反駁するには、私は次のことを証明しなければならない。つまり―アディション、クアディションそれぞれの同一性を、私が把握していること。そして、それから導き出される両者の差異が明白なものであり、その上で私が積極的にアディションに従った演算を行ったこと。以上の三点について。
 ところが私は、以上のことを決して証明することができない。なぜならば、理念としての―行為主体が、それに従っていると証明可能であるための条件を満たしているものとしての―規則・定理が、その先験性という性格から、必然的に無限集合を対象にせざるを得ないのに対して、前節において繰り返し確認したように、規則それ自体は歴史的・経験的産物であるからである。そのために、その規則の射程とするところの行為―いわば規則そのものを同定する反照行為の反復は、絶対的に有限回のものにとどまる。したがって私は、規則の同一性を把握することができない。そしてこのことは直ちに、各規則間の差異を私が認識することの不可能性を示すだろう。同一性を確定し得ないならば、各規則の相違点の有無を証明し得ないのは当然である。よって、わたしはクアディションではなく、アディションに従ったとは言えない。もしそのように主張すれば、懐疑論者によって次のように反論されることは明白であろう。
 「クアディションこそが、君の言うところのアディションの、そもそも意味している物に他ならない」と。

                              <以下次号>
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by ecrits | 2005-11-13 04:32 | 論考

はじめから世界でたった一人のために書かれた賛辞


  私がつくったものもつくらなかったものも、みんなあなたに差し上げる。
                  ― A・ブルトン 『シュルリアリスム宣言』


 おそらく、祝福のための賛辞とは、世の中で一番書くことの難しい文章です。
 そのため、この気持ちは、やがて私の中で爆発して、星のように全世界に降り注ぐことでしょう。
 あなたは私を成長させた。
 あなたへの祝福も、やはりいま、私を成長させている。
 このうえない感謝と、このうえない幸福をお祈りして。

 結婚おめでとう。
 心より。この心のすべてで。   親愛なる姉へ
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by ecrits | 2005-11-08 06:02 | そのほかのこと

GRASP!  (第二回)


  (ⅱ)

 『幾何学の起源』における論証での、実例として挙げられていたのが「三平方の定理」であった。そしてこの定理が数学の領域に帰属している以上、この定理・法則の諸問題は基礎的な定理・法則において明確なものとなるだろう。たとえば、
  2+2=4 …①
 とする計算の結果については、誰もが認めるだろう。次に、
  2+2=11 …②
 という計算を並べたとする。この二つの式は並立可能である。なぜならば、計算式①は十進法に基づき、一方、②は三進法に従った計算の結果であるからである。つまり、計算式①と計算式②とは、その法則自体が帰属する証明体系が異なる、つまり立場が違っているため、帰結がそれぞれ異なった値を示したところで、どちらが正当であり不当であるか、判断することはできない。よって取捨選択がおこない得ない以上、両式は並立可能である。
 証明体系が異なれば、どのような相反する定理・法則も両立可能である。このことが示すのは、新しい定理・法則の発見や、それに伴う既存の定理・法則の破棄という、数学や科学史上の一連の認識変革それ自体を、もはや超越的公理体系(真理)への漸進として捉えることが不可能であるということだ。というのも、そのような解釈は、究極的には証明体系が一つに集約されるところの、超越的証明体系(真理)が実在する場合にのみ可能であるからだ。つまり諸定理を、単一的な視点から判断し得ることを前提としているわけである。
 このような目的論的な立場から、諸定理のポリフォニックな並立という私たちの考えに対し、次のような反論が生じるかもしれない。確かに一つの事態について、異なった結論を提出する無数の定理が共立することは、可能であるかもしれない。しかし、それならばそれら諸定理間において、何かしらの共通性が見出せるはずだ。たとえば、十進法から三進法への変換を、実際に私たちは行っている。したがって、これら二つの進法を統合する規則・法則を抽出し得るはずであり、このような操作の反復によって、たとえ一つの超越論的形式(真理)へ到達することが困難であったとしても、それに向けて漸進することは可能である、と。
 確かに、このタイプの反論が主張するように定理間の翻訳(Translation≠Conversion)は可能である。しかし問題なのは、そのような主張が、諸定理間に位階秩序が存在することを前提としてはじめて、妥当性を持ちうるることだ。諸定理の帰属する証明体系と、その翻訳自体の属する証明体系との間の、レヴェルの差異(オブジェクト・レヴェル/メタ・レヴェル)を、それらの反論は必然的に設けざるを得ない。例えば、いま仮に十進法と三進法との翻訳作業を内包する証明体系があったとしよう。この反論に沿えば、前者と後者の間にはレヴェルの差異が存在しているはずである。しかし、十進法と三進法が「教える」という、根本的な行為の規則に関する証明であるのならば、その証明体系も、やはり数字を用いた式によって表されなければならない。したがって、その証明体系自体の同一性も同様に「教える」行為によって基礎付けられている。また、そもそも十進法や三進法が「教える」という行為に関する規則であるため、それは「教える」行為自身の意味としても位置付けられていなければならない。したがって数を「数える」行為自体は、既に何らかの算術にのっとっていることになる。だとすると、各証明体系を翻訳するメタ・レヴェルの証明体系自体も、特定の(例えば四進法に基づく)算術によって基礎付けられていることになる。しかし、これは端的に言って矛盾である。なぜならば、各証明体系を統合するメタ証明体系という構造は、その定義上、最終的には、前述の例で言うならば、数を「数える」ことそのものの意味的同定を可能にするものでなければならないにもかかわらず、そのメタ証明体系自体も、やはり特定の算法によってのみ表現可能となるからだ。つまり、特定の算法の同一性は―それがオブジェクト・レヴェルの証明体系であろうが、メタ・レヴェルの証明体系であろうが―必ず「教える」行為に基づき、なおかつ「教える」行為の証明自体が、既に特定の算法によって意味付けられているため、究極的な「教える」行為自身の意味的同定は不可能なのである。各証明体系間のレヴェルの差異に基づく構造は、それゆえ自壊する。したがって、数学・科学史上の新定理の出現は、真理の発見或いはそれへの漸進ではなく、あくまで新たな態度(視点)の発明「パラダイム」(T・クーン)である。

 ここで、前述した『メノン』のパラドクスを再度参照しよう。それによれば、何かを捜し求めるときには、既にその解答は観察者自身の内に用意されている。もしそうでなければ、そもそも疑問を持つことがなく、問題自体が発生しないからだ。してみると、これまでの私たちの考証は、一見すると『メノン』のパラドクスと同様の帰結に陥っていると認識されるかもしれない。しかし、そうではない。『メノン』の逆説の難題は、煎じ詰めれば発見される定理が、その理念性(超越性)から、非歴史的なものであると規定されたことによる。また、フッサールの問題提議も、この理念性とそれ自体の発見の歴史性・経験性という矛盾から開始している。そしてこれらの難題は、定理が超越的であり、そのため同一現象についての定理が、一つの証明体系へと還元されることを含意せざるを得ないことから発生した。
 しかし繰り返せば、同一現象に対しては、結論の異なる諸定理が常にポリフォニックに並立しうるはずである。そしてこの帰結によって、フッサールの逆説に対する解答を提出することが可能になる。つまり、もし目的論者の言うように、一つの事態について最終的には一つの証明体系のみが対応するのであるならば、『メノン』の逆説にあるように、問題提議そのものの中に既に解答が含まれているだろう。しかし複数の証明体系が並立可能であるならば、そのうちの一つを選択することは、単なる偶然に過ぎない。したがって「三平方の定理」の発見以前に、その定理が示す事態が存在しえないことも、「三平方の定理」の帰属するものとは異なる別の証明体系(言い換えれば「視点」)によって認識されていた可能性によって保証されるのである。してみれば、一つの事態と複数の証明体系とは、固有名とその確定記述との関係に等しい。よって有意味に言及し得る事態は、それぞれの証明体系に依拠するため、厳密にはそれらの証明体系が単一の事態を指し示しているとはいえない。そのため、私たちが諸定理が同一事態を指示していると認識する際には、その根拠を諸定理の家族的類似性にのみ求めることができるだろう。

                                     <以下次号>
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by ecrits | 2005-11-08 03:37 | 論考

GRASP!

   規則随準性の理論的パースペクティヴにむけて ―GRASP!―


  (ⅰ)

 全ての行為・行動は、規則・法則に従っているとされている。しかし、行為に従うとは一体どのようなことを意味しているのか? 「従う」という動詞に、通常私たちは規則に対する能動的な―少なくとも自意識的な―関わりを想起する。しかし、ならば私たちは規則や法則に反する行動を選択することが可能になるのか―例えば自然科学の法則や数学の定理に対しても? 問題は、おそらく「規則に従うこと」そのものの独特な様相性に見出すことができるだろう。そしてこの規則随準性に関する考察を、1936年に記された『幾何学の起源』においての、フッサールの問題定義を足掛かりに開始したい。

 彼はこの論文の中で、事実問題と権利問題の峻別について懐疑を述べている。要約しよう。この論文はその名が示すように、幾何学の「起源」についてのものである。ただしその「起源」とは、例えばターレスやピタゴラスによる発見の、具体的な歴史検証によって証明される時期のことを指すのではない。ここで問題とされているのは、理念的対象であるはずの定理(ここでは「三平方の定理」)の発見が、歴史的産物であることそのものである。「三平方の定理」が、理念性という定理としての条件を満たしているならば、定義上、「三平方の定理」そのものは、ピタゴラスの発見以前にも存在していたはずであり、したがって「三平方の定理」そのものが、他でもないピタゴラスによって発見された事実は、単なる偶然に過ぎない。他の時期に、他の学者によって発見されたとしても問題はないのである。したがって「三平方の定理」の存在と、その歴史的な発見、つまり権利問題と事実問題との区別は保たれる。
 この峻別は、定理の性質上、当然の帰結と考えられる。しかしフッサールはこの区別を無効にする考察を展開している。確かに「三平方の定理」が、紀元前6世紀にピタゴラスによって発見された事実は偶然に過ぎない。しかし、その定理の理念的な定義、非‐歴史的な性質そのものも、やはりいつか誰かによって発見されなければならない。つまり非‐歴史的なものが、歴史的に産出される矛盾をフッサールは指摘しているのである。
 この矛盾に対して、フッサール自身は解決する解答を最終的に見出してはいない。また長大な序文を寄せたデリダにしても、定理が歴史的起源をもったことと、特定の期間、発見者をもったこととの区別を、フッサールが考慮に入れなかったことを非難しているが、最終的に根本的な解答を提出し得てはいない。ではこの難題を、私たちはいかにして解決することが可能であろうか。
 
 プラトンは『メノン』のなかで、次のように主張している。彼によれば、問題に対して解答を捜し求めることは不合理である。なぜならば、捜し求めるものを知っているのだとすると、その場合、そもそも問題などは存在していない。また、もしそうでなければ、捜し求めるものが何であるか知らないのであるから、何も見出しえない(所謂、「メノンのパラドクス」)。
 言い換えれば、“目的意識がなければ疑問を持たないし、もしそうでなければ、既に解答は観察者の中にある”ということになる。確かに、ただ物や現象を無為に眺めているだけでは、そこから何も規則は見出しえないだろう。よってこのプラトンの主張は、一面において完全に正しい。しかし問題なのは、後の「解答は既に観察者の中にある」とする考えである。このことが意味するのは、プラトンが定理・法則を理念性・超越性において捉えていることに他ならない。定理が超越的ならば、歴史的な起源を持つことはありえない―より正確には、持ってはならない―からだ。しかし、このプラトンの主張は端的に言って誤りである。なぜならば、もし仮にプラトンの主張が正しいとすれば、そもそも彼は定理・法則の超越性について語る必要がないはずであるからだ。しかし事実として、彼はそのことを主張している。つまりプラトンの過ちは、発話行為自身に超越性の資格を付与してしまったことにある。実際にはフッサールの問題定義にあるように、発話行為そのものが超越的であることはありえない―その超越性の自覚自体が、歴史的に産出される以外にないのだから。プラトンの主張には、このような層状化する主体の存在様式を考慮する視点が、決定的に欠落している。時間から逃れられない主体の発話行為によってのみ、その存在を保証されるのであるならば、対象自体が超越的であることはありえない。
 よって定理は、歴史的・経験的に産出されるものとして同定される。とはいえ、以上の結論はフッサールの提出した問題自体の正当性を証明するに過ぎない。フッサールの直面した難問は、もし定理が歴史的産物ならば、その発見―その年代が特定不可能であったとしても―以前には、その定理によって指し示される事態が存在していなかったとする、常識的な判断では、許容しがたい結論に達してしまったことにあるからだ。したがって私たちの考察は、そのような事態が実在することを証明することにある。

                                     <以下次号> 
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by ecrits | 2005-11-06 04:27 | 論考

これは決して恋愛ではない~行定勲『春の雪』鑑賞後~   「松山シネマ倶楽部」さんへ

 実に分かりやすいイメージの連鎖によって撮られた映画である。
 主人公松枝清顕(妻夫木聡)は、貴族の名門松枝家の嫡男。一方、ヒロインの綾倉聡子(竹内結子)は斜陽の伯爵令嬢。綾倉家は恩義から松枝家にプライドを蹂躙され、ひそかな復讐心を抱く。そのことは、清顕と聡子を肉体関係にさせることによって実現されるが、清顕は聡子に対して自分の感情を上手く表現することができない。遅々として進行しない二人の関係。幼馴染みの二人は、やがて綾倉家の思惑通り恋仲になってゆく。しかし、ふとしたきっかけから綾倉家に宮家の洞院宮治典王(及川光博)との縁談が持ち上がる。清顕は素直になれない自分の気持ちから一時は聡子を突き放すが、それはやがて手に入れられないものへの飽くなき欲動として復活するだろう。二人は人目を忍んで逢瀬を重ねるが、聡子の妊娠という事件により、関係は決定的に亀裂を生じはじめる…。

 冒頭に反復される「春の雪」というモティーフは、「蝶」「夢」「破り捨てられた手紙」「セックス」「妊娠」「喀血」「桜」とかたちを変えて変奏され、物語に一貫した“欠落”を印象付けている。さらに、近代文学の素材として欠くことのできない「自意識」「処女性」「博愛主義」「病」などがふんだんに盛り込まれていて、まさに“その筋”では一級品。しかし、今日我々がこの映画で目の当たりにするのは、そのような近代の幻想ではなく、むしろそのような「無意識の制度」が孕んでいた甚だしい暴力性である。
 「それ以上が欲しい」と口癖のようにつぶやく主人公は、親友の本田(高岡蒼佑)に「はじめから金も権力も歯が立たないバケモノを相手にしたのだ! 貴様は幻を見た」といわれても気付かず、「今オレはやっと本当に欲している物が分かった」とのたまう―余談になるが、「本田」は三島自身の分身として描かれており、剣道部に所属し、同性愛を連想させていたことは興味深い―。しかし、彼は全く理解しない。「バケモノ」とは自分自身であり、はじめからどこも何者も障害ではなかったことを。そしてまた、彼を悲劇の主人公に祭り上げてしまう「物語」こそが近代という“二重の病”なのだ。そしてそれは結果として聡子を堕胎に追い込む。

 恋愛と物語は異なるものだ。
 端的にこれは恋愛の映画として成立していない。他者を把握できない恋愛ははじめから破綻しているからだ。
 繰り返すが、この映画において「恋愛」は扱われていない。私が感じたのは、この程度の感傷癖に過ぎない自意識を未だに恋愛と捉え違えてしまう精神の幼稚さだ。彼らは未だ近代から脱却できていない。いや、むしろ、近代に退行している。
 考えることを放棄し、美しい妄想に浸ることの快楽を要請するこの映画は、右傾化する社会を象徴するものとして記憶に残るものだった。

 否定的な要素ばかり並べていても仕方がない。
 妻夫木聡の演技は最悪だが(人間性の醜悪な部分だけが好演されているように感じた。それはそれで成功かもしれない)、清顕の祖母を演じた岸田今日子は、この映画の唯一の救いだった。出演シーンはわずかながら、これだけの印象を残す存在感は、流石に他の役者の及ぶ所ではない、といったところか。
 及川光博の演技も素晴らしかったが、私にはどう見ても鳥肌実に見えて仕方なかった。
 宇多田ヒカルのテーマ曲はMiscarriage(難産=誤配)の印象が拭えないが、クレジットまで見終わって観客は、ふと思うのだ。―はて、これが『Be My Last』だろうか?―と。
 いい加減、我々はこのような反復から眼を覚まさなくてはならない。
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by ecrits | 2005-11-02 03:50 | 批評