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近藤芳美の死

 学生時代に秋葉四郎氏に連れられてNHK歌壇の収録に立ち会ったことがある。
 そのときのゲストが近藤氏と岡井隆氏だった。
 甚だ失礼ながら、生きた化石を見たような気分だった。両名とも、私の中には教科書の中の人物だったからだ。温厚な人だったような印象がある。

 その時私は、後に歌人となった宝槻絵里子と一緒だった。
 私が宝槻に「シーラカンスがいるぞ」と言ったら、宝槻、静かに首肯していた。

 収録後、私が『二松短歌』に収録されていた、「□□□□□ □□□□□□□ □□□□□ □□□□□□□ □□□□□□□」という抽象短歌を褒めると(ケージで文字を構成し、音読の部分を読者の意に即して変化させる)、近藤氏、苦虫を噛み潰したような顔をされていた。おそらく私は、あそこで氏の怒りを買ってしまったらしい。
 当時、言語の問題を考えていた私は、狭義の日本語から離脱して思考することの重要性を直視していた。だから、短歌なんていうものを小馬鹿にしていた節があったのかもしれない。箱庭的「日本語」(ラーメンズ的に言えば「ニポンゴ」か)の形式を捨て去ることのできない「短歌」はどうしようもない。そう、思っていた。
 今になって思えば、短歌など、どこの国にもある。
 文化の固有性を強調しすぎるからおかしくなる。それだけのことだ。


 戦争を文字に残していった世代の人間が、また一人、いなくなってしまった。
 先日亡くなった岩城氏とともに時代のタームが過ぎてゆくのを感じる。
 甚だ、さみしい。
 それが今の私の素直な感情だ。


 「50年ついに国是とし戦わず人間の歴史に静かに思え」-近藤芳美
 戦わなかった訳ではない。
 「戦わない」と意地になって言い続けることが大切なのだ。

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by ecrits | 2006-06-24 05:50 | 点鬼簿

岩城宏之の死

 私は岩城さんに直接面会した経験はない。
 東京にいた時分に、N響にいた友人にチケットを頂いて、数度足を運ばせたことのあるだけだ。精力的な人だな、とお見受けした。おそらくは、晩年の一夜にしてベートーヴェン全交響曲を演奏するという大仕事に至るまで、それは変わっていなかったのだろう。

 よく、淀川長治をして、日本における映画批評の第一人者とする評価がある。
 私は、その評価方法は間違っていないと思う。
 その意味で岩城さんは実演者として、或いは「初演魔」と称されたコンダクターの意地をみても、音楽批評の第一人者だったのではなかろうか。

 正直に言うと、私は氏の仕事にさほど敬服した覚えはない。
 しかし、何か時代が一つ終わったな、という感慨は深いものがある。
 それは、ひとつのタームとなるだろう。

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by ecrits | 2006-06-14 04:27 | 点鬼簿

『ALICE』/ラーメンズ

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 「mixi」にこう書いた。

  ④商業的成功の回避
 例えば『後藤を待ちながら』で私が究極的に失敗だと思うのは、それが『ゴドー』のようにいずれ全世界に散種され、世界中の劇場や、あげくのはてには吉本興業的マンザイまでが、それを模倣することを、することの可能性を、この作品ははじめからあきらめている-いや、というよりは、むしろあきらめることによって成立している-ことだ。彼らの作品にしばしば見受けられるこの回避は、結果的に彼らの作品をオタク的自閉に閉じ込めてしまっている(おそらくは、その状態は彼らが最も望まなかった状況のはずだ)。模倣が悪いのではない。模倣でしかない、という諦念が貧しいのだ。
 彼らが半ば意識的に行うこの回避は、彼らの致命点である。小規模な商業的成功(精巧)は、むしろ松本人志以前への退行だろう。

 もう、これで尽きていると思うから、これ以上書かない。

 ただ、“USJ”=“United State Of Japan”は恐れ入った。
 このブログは批評でやる主旨できているから、正直に言う。
 あれだけでも価値があると思う。

 本当に良い芸術というものは、一般の客にも、インテリ向けにもちゃんと楽しめるようにエンターテインされているものだ。
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by ecrits | 2006-06-03 04:41 | 批評